検 索

寄 付

TOHO
INTERVIEW

2015.06.22

【第5回】部員たちと会話することが監督の仕事。学生たちを引き連れて必ず神宮球場に

硬式野球部監督

横道政男監督

東邦高校OB、会社経営

横道政男(よこみちまさお)

名古屋市出身。東邦高校3年生だった1969年夏の甲子園に主将として出場。愛知県大会準決勝の中京戦では逆転サヨナラ本塁打も。中央大学経済学部卒。就職した菊水化学工業(名古屋市)では軟式野球部で全国出場7回。2013年から愛知東邦大学硬式野球部監督。母校卒業生たちが集う中央大学学員体育会中部懇話会会長。株式会社ヨコミチ社長。

 愛知大学野球2部リーグの愛知東邦大学硬式野球部が、加盟全28校が参加した6月の新人戦で堂々初のベスト4に輝きました。1部リーグ昇格への期待が高まるなか、2013年春から指揮をとる横道政男監督が、その手応えを語りました。

――新人戦では1部リーグの日本福祉大を6-2、中京大を4-0で下しました。準決勝でやはり1部の名城大に2-0で惜敗しましたが堂々のベスト4ですね。

 2校連破にはちょっと驚きました。名城大にもエラー2つで負けましたが、お父さんの法事で出場できなかったエース級が投げていたらどうなったか分かりません。実はオープン戦でも、岐阜県の実力校に1-0で勝っていましたので、ひょっとしたら行けるのではとの期待がありました。年々いい選手が入ってきてくれていて、着実に力がついているのは間違いありません。

――東邦高校時代の甲子園出場は1969(昭和44)年夏。東邦を春夏通算24回、甲子園に導いた阪口慶三監督にとっても監督初の甲子園でしたね。

 阪口監督の監督就任1年目は私も東邦高校1年生でした。校舎は東区赤萩町で、野球部の練習は今の大学、高校があるここの東山グラウンドでやりました。阪口監督は”鬼の阪口” と言われたほど練習はきつかった。ただ、厳しさの中に愛情がありました。ポジションはセカンドでしたが、東から昇った太陽が西に沈むまでと言っていいほどノック漬けの日々でした。同期は40人いましたが、選手として最後まで残ったのは4人だけ。僕の汗と涙はまさにこの学園キャンパスにしみこんでいます。

――東都大学野球リーグの強豪校である中央大学に進学しましたが、神宮球場でも活躍されたのですか。

 中央大では内野とレフトを守りました。1年生の時から試合に出場し、大学日本一を決める神宮球場での晴れ舞台も体験しました。人気の東京6大学に対し、実力の東都とも言われた時代で、在学時代、2度の全国制覇を体験しました。ただ、3年生以降は学生コーチでした。練習で楽をして、たくさん食べたからでしょう。体重オーバーで思うように動けなくなったからです。同期生には阪神タイガースに入団し、掛布雅之さんと争った三塁ポジションをあきらめ、外野手に転向したものの通算1316安打の記録を残した佐野仙好(のりよし)さん(現在は阪神の統括スカウト)らがいます。東都大学リーグで”安打製造機”の異名を残し中日に入団した藤波行雄さんも同期です。

――華やかなグラウンドでのプレーだけでなく、選手コーチとしての体験が監督としての指導にも役立っているのでは。

 学生たちには何でも話します。俺はガキのころからスーパースターだった。東邦高校では1年生から1軍の試合に出ていた。ところが、中央大学では1年生の時はレギュラーだったが、2年生でデブになり挫折した。偉そうなことをしゃべっているが、お前らと一緒で、たくさんのミスを重ねてきた。だから、お前らの気持ちは大体わかるし、こういう風にやれば、こうなるというのも分かる。お前らも頑張れば、社会人野球やプロにも行ける力を持っている。もちろん、しっかり授業に出て勉強もしろよ。いいか、やるなら今だぞ。どんなことでも助けてやるから。野球の技術的なことは荻巣幹典コーチ(東邦高校OB、東北福祉大)がいますから、監督の仕事は70人の部員とどれだけしゃべり、気持ちを通じ合えるかです。

――監督就任3年目。手応えはどうですか。

 選手たちの意識が変わってきました。監督に就任した時感じたのは、高校時代にレギュラーでやってきた部員が少なく、大学でも楽しく野球がやれればいいという部員が多いことでした。いきなり締め付けただけでは良さは引き出せないと思いました。学生コーチを置いて練習メニューを作らせました。休む時はしっかり休む。その代わり密度の濃い練習をしてメリハリをつける。部員たちには口を酸っぱく言って、自分のノートを作らせました。学生コーチがつくった今年春の沖縄合宿は、朝7時から夜9時まで10日間、野球漬けメニューでした。硬式野球部の歴史を塗り替えるような充実した合宿ができたと思います。

――夢は大学野球日本一を決める晴れ舞台である神宮球場出場ですか。

 もちろんそうです。監督に就任してほぼ1年が過ぎた2014年1月、東京で全国の大学野球の監督会議があり、新人監督全員があいさつをさせられました。その時、僕はこう語りました。「愛知東邦大学は2部リーグです。高校野球では強豪校ぞろいの愛知ですが、レギュラー選手たちはほかのチームに行き、わが東邦高校ですらレギュラーはなかなか来てくれません。愛知東邦大学で指導を始めてまだ1年目ですが、選手たちは地に足をつけた自分たちの野球に取り組んでいます。卒業する学生たちが、監督ありがとうございましたと泣いて抱き着いてきました。監督として、指導方針は絶対間違っていないと思っています。学生たちを引き連れて必ず神宮に来ます」。監督会議で記念講演した法政大学OBで、社会人野球でも活躍された山中正竹さんが、「うん。間違っていない」と大きくうなずいて下さいました。

「この地には僕の汗と涙がしみこんでいます」と語る横道監督(大学本部前で)

部員たちに檄を飛ばす横道監督(6月15日、H棟4階で)

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