「みんなに応援してもらいうれしかった」と語る田中さん
経営学部地域ビジネス学3年生の田中秀弥さんが4月22日から29日まで、ドバイで開催された車いすバスケットボールの世界大会「8th Fazza International Wheelchair basketball Tournament 」に日本代表メンバーとして参加し、チームは銀メダル獲得して帰国しました。報告に訪れた田中さんに榊直樹学長にインタビューしていただきました。
――ドバイでは何試合に出場したのですか。
大会には日本、フィリピン、イギリス、サウジアラビア、タイ、クウェート、モロッコ、アラブ首長国連邦(UAE)の8か国が参加。予選3試合と準決勝、決勝と5試合を戦いました。車いすバスケットは、障害レベルの重い順に、選手には1.0~4.5の持ち点が決められます。試合コートでは選手5人の持ち点合計が14.0を超えないルールで戦います。体力を使う競技なので、同じ試合でも前半と後半では選手の体力が違ってきます。正確なシュートにはやはり体力が必要で、5人が40分フル出場するのではなく登録選手が入れ替わり出場する形になります。僕は障害レベルが比較的軽い4.0点で全試合に出ましたが、エース級の選手がいたので、60-70で敗れたモロッコとの決勝戦では少ししか出してもらえず、1ゴールも決められませんでした。
――世界のレベルはさすがですか。
ドバイ大会では選手の年齢やプロ、アマの出場制限はありませんでしたが、日本は23歳以下で戦いました。モロッコ、UAE、タイなどは選手の年齢制限なしで、モロッコは決勝戦で、予選では入れていなかったヨーロッパのプロリーグ選手も投入してきて、次々に得点されました。事前情報は全然なく、当日の試合で初めて知る状態でした。日本でもパラリンピック出場選手のうち3人はドイツのプロリーグで戦っている選手ですが、今回は23歳以下のクラブチーム所属の選手だけ。よくぞ銀メダルが取れたと思っています。
――忘れられないシーンはありましたか。
高校3年生だった2013年の第5回大会にも出場しましたが、車いすバスケットを始めてまだ日が浅かったこともあり、今回に比べたら出番はわずかでした。その意味では今回は本格的な世界舞台になりました。最も忘れられないシーンは予選の対フィリピン戦です。67-48で勝ちましたが、相手がシュートしようとしているとこに攻め込み、僕がカットした瞬間を、世界車いすバスケット連盟(IWBF)のカメラマンが撮影し、IWBFのフェイスブックに掲載してくれました。UAE戦との試合で、相手の激しいディフェンスをかわし、もらったパスからシュートを決めたシーンも忘れられません。
――家族や大学の友人たちも応援してくれたのでは。
小学3年生の時からスポーツ少年団でフィールドホッケーをしていましたが、中学1年生の時に交通事故に遭い、もうスポーツはやれないなとあきらめていました。車いすバスケを始めたのは、両親が、とも中学、高校時代に部活でバスケットボールをやっていたこともあり、車いすバスケについて詳しく調べ、勧めてくれたことがきっかけです。ドバイでは自分からは連絡しませんでしたが、LINEに家族からの「頑張れ」の書き込みがあることを知った時はうれしかったです。帰国したGW明けの大学では、中山孝男先生(経営学部長)の授業で、仲間の学生たちに「おまえすげーなー」と祝福されました。中山先生が宣伝してくれたようです。ドバイでのバスで移動中には、スマホで愛知東邦大学のウェブサイトを見たヘッドコーチから「おまえの大学のホームページでも応援しているぞ」と言われ、みんなに喜んでもらいました。
――女子サッカー部はFacebookに「すごいです! 同じスポーツ選手、同じ大学の学生として、私たちも頑張っていきたいです」と、田中さんのドバイ出発を紹介していました。
僕は部活ではやっていないし、スポーツ仲間とは言っても普通のバスケットではありませんが、皆さんに励みにしてもらえるならうれしいです。車いすバスケットという世界もあるんだということを広く知ってもらい、障害者のスポーツ人口が増えてくれればいいと思っています。これまでも、クラブチームの仲間たちと出掛けて、小、中学生たちに試合を見てもらったりしてきました。
――2020年は東京パラリンピックが開かれます。出たいですか。
出たいです。ただ、パラリンピックとなるとハードルはとても高い。リオでの男子アジア枠は3で、オーストラリア、イランの強豪に続いて日本も3位決定戦で韓国を破り出場を決めました。アジア予選を突破するだけでも大変ですが、まだまだ未熟な僕がまずは日本代表に選んでもらえるかどうかです。今回、ドバイでの大会に出場したことで、一緒に行った23歳以下の仲間たちだけでなく、国内には素晴らしい選手がたくさんいることを知りました。少なくともそうした同世代の選手たちに負けないよう、ライバル意識をもって頑張りたいと思います。