上條教授は学生時代からマスコミの世界にあこがれて広告会社に入社。国内大手流通グループとの合併、外資系大手マスメディアとの資本提携など業界の大きなうねりの中で、38年間、広告、ブランド戦略と向き合ってきました。大学教員に転じて3年目の上條教授に聞きました。
――早稲田大学に入学した1972年当時といえば、70年安保後、激しかった学生運動も下火に向かっていた時期ですね。
入学する年の春には、連合赤軍が人質をとって立てこもった浅間山荘事件がありました。学生運動は党派対立が激化するなどまだ騒然としていました。学生時代はサークルには入りませんでしたが、テレビ局の仕事にあこがれ、仲間5人でメディアやジャーナリズムの勉強に打ち込みました。2人がフジテレビ、1人がSBC(信越放送)、私は読売・日本テレビ系の第一広告社に入りました。もう1人は司法の世界に進みました。
――広告会社に入社して大学教員に転ずるまでの38年間に広告メディアの世界も大きな変貌を遂げたのでは。
随分変わりました。1976年に入社した第一広告社は10年後の1986年、西武百貨店を中核とする流通系最大手のセゾングループ傘下のI&Sとなりました。第一広告社(「一広」と呼ばれていました)のIとセゾンのSに由来した新社名です。さらに12年後の1998年にはアメリカの大手広告代理店オムニグループとの資本提携でI&SBBDOという社名の広告会社となりました。第一広告社時代は、接待攻勢での営業などまさに昭和時代の広告業界。私は担当する製薬会社や食品会社のCMを持ってテレビ局に出入りしていました。I&Sになると、広告の作り方が大きく変わり、切れ味、センスが問われるようになりました。糸井重里さんなど一流のクリエーターたちと、時代の最先端を走っている感じでした。I&SBBDOになると、アメリカ流ですから会社の文化がさらに大きく変わりました。社内では自分の考えに絶対的な自信を持つアメリカ人にどう自分の意見を伝えるか、ハードな日々でした。
――I&SBBDO時代は執行役員もされていますね。
2001年に執行役員として営業局とマーケティング局を統括しました。執行役員では最年少だったと思います。それまで、広告会社の営業畑ではめずらしく、ゴルフとかマージャンはやらないで労働組合の委員長を長くやっていました。結構、闘う労働組合で、ストライキなども行いました。役員とかえらくなるつもりはなく、仕事で一生懸命やればいいと思っていました。しかし、執行役員としてマーケティング部門を統括することになり、世界が大きく広がりました。ダイムラークライスラー社(今のメルセデスベンツジャパン)の「スマート」(2シート車)を担当しましたが、マーケティングに加え、ブランド戦略とも真っ向から向き合うことになりました。ただ、執行役員という立場上、責任を取って謝らなければならないつらさもたっぷり味わいました。
――広告の世界で仕事をされてきて最も充実感を感じたのはどんな仕事ですか。
2004年に、思い切ってI&SBBDOを退社し、「インターブランドジャパン」というブランドコンサルタント会社に移りました。52歳の時です。アメリカに本社があり、世界の企業のブランド価値をランキングしていることで知られています。私の関わった仕事で最も手応えを感じたのは大和ハウスグループの理念をうたうCM作りです。第1作は2006年4月の郡上八幡編で、大竹しのぶさんのナレーションで、江戸時代から続く、湧き水の清流を生かした「共創共生」の町づくりのCMに仕上げました。大和ハウスは住宅総合メーカーから脱皮しようとしていたので、「単に家を売る広告にしてはいけない」と主張し、「共創共生」の文化を伝えることに絞りました。CMは当時の通産大臣賞を受賞し、今でもシリーズは続いています。今は和歌山県の醤油編、金沢編などがオンエアされています。
――愛知東邦大学の「コミュニティカレッジ」ではブランド戦略についての社会人向け公開講座を担当されました。手応えはどうでしたか。
中堅企業の社員の皆さんを中心に15人に受講していただきました。最後は「オリックス・バファローズをどうブランド化するか」という課題テーマについて全員がプレゼンで成果を発表しました。外部環境、強みと弱みを分析したうえで、「オリックス・バファローズというテーマパークを作り、野球もその中に取り込んではどうか」などの提案もありました。平日午後6時半からの講義でしたので、受講された皆さんの本気度は高かったと思いますし、ブランド戦略を考えるいい機会になったと思います。
――民間企業から大学教員に転じ、学生に教えることで戸惑いはありませんでしたか。
ありませんでした。私は広告、ブランドというクリエイティブな分野に関わってきた分、アイデアを生み出す力は年齢には関係なく学生でも平等に持っていると思っています。学生にはああしろ、こうしろというより、横にいて気づきを与える存在であればいいと思っています。学生たちはそれぞれいいものを持っています。自分を信じて、自分しか持っていないものを磨いてほしいですね。それをサポートするのが教員の仕事だと思っています。
――研究室で論文執筆に没頭してみたいとは思いませんか。
思いません。ただ、昨年、マーケティング学会に論文を出したら、自分では稚拙な論文だと思っていましたが、いろんな方々から声をかけていただきました。マーケティング学会理事でもある一橋大学の阿久津聡先生と2人でブランド論について執筆することになり、さっそくこれまでに経験を理論化するための取材に入ろうかと思っています。私はずっと現場にいましたので、知識の集積に基づいた研究が大事だと思っています。