第48回 海抜0m地帯からの帰還1959

2019年1月22日

屋根の上ですごした3日間

写真を手に伊勢湾台風での体験を語った村上さん

 伊勢湾台風が東海地方を襲った1959(昭和34)年9月26日夜、東邦高校2年生だった村上照夫さん(76)は、海抜0m地帯である三重県長島町(現在は桑名市長島町)の自宅に濁流が押し寄せ、家族5人で3日間、屋根の上で救助を待つ体験をしました。学校に復帰したのは10月中旬でした。

 伊勢湾台風犠牲者の遺族会役員も務める村上さんは、中日新聞北勢版に掲載された「伊勢湾台風から58年」の特集記事(2017年9月26日)で恐怖の体験を語っていました。

 <桑名市長島町西外面の長島平和公園では、伊勢湾台風遭難者の法要が営まれた。関係者30人が集まり、焼香をして犠牲者の冥福を祈った。遺族会長島支部監事の村上照夫さん(74)は、「午後6時ごろ停電し、午後8時すぎにかんぬきをした戸を突き破って水が流れ込んできた。父親が天井を突き破って二階に逃げた」と振り返る。家族は無事だったが全壊した自宅の屋根の上で3日間を過ごした。「4日目に自衛隊がたくあんとおにぎりをくれるまで飲まず食わず。近所では8人も亡くなった」という。旧長島町は三重県内の自治体別最多の383人が犠牲になった。>

 教科書もノートもかばんも、みんな流され、衣類も救援物資に頼っての学校復帰でした。クラスでは最後となった村上さんの帰還を、仲の良かった同級生たちは、「よう命があったな」「安否の確認が取れるまで、ひょっとしたらお前だけだめだったかとも思っていたんだぞ」と安堵の笑顔で迎えてくれました。

停電で闇の中、ラジオも聞けず

屋根の上の村上さん父子を舟で激励に訪れた親類(9月29日撮影)

 多くの住民にとって、台風情報はラジオが頼りでした。まだトランジスタラジオは出回っておらず、停電によって情報は遮断されてしまいました。

 「停電していますから真っ暗。今のように防災無線があるわけではない。猛烈な勢いで流れこんでこようとする水を防ごうと、父親は懸命にかんぬきのついた戸を両手で支えた。しかし、かんぬきが外れると同時に、滝のように水が流れ込んできた。家族5人が2階に避難したが2階の畳も浮き始めたんです」。村上さんは、父親の宇一さんが懸命に戸を押し返そうとする様子を再現しながら、恐怖の体験を語りました。

 「これはあかんぞ」。宇一さんは家族全員で屋根の上に逃げることを決めました。着物などを入れる長持ち2個が重ねられ、その上に乗った宇一さんが棒で屋根をぶち抜き、這い上がりました。村上さん、母親、弟、妹も引き上げられ屋根の上に出ました。周囲に全く明りの見えない暗闇の中、家族5人は強風とたたきつける雨の中で恐怖の夜を過ごしました。

 台風一過の翌朝。屋根から見下ろす周囲は一面が水でした。平屋だった近所の家は姿を消していました。

写真に残された爪痕

浸水状態が続いた村上さん宅(10月15日に撮影)

 台風直撃から一夜明けて3日目の9月29日、屋根の上の村上さん父子が撮影された写真が残っていました。撮影したのは近所に住む村上さんの中学時代の1年先輩である加藤高明さんという人でした。加藤さんの家は土台が高かったため水害を免れていました。

 写真は、長島駅北側に住む親類2人が、屋根の上に避難している村上家族を心配して、舟に乗って玄米のおにぎりとお茶を持って励ましに来てくれた時の写真でした。親類宅は床下浸水だけですみましたが、村上さんの家が大変なことになっていると心配して訪れてくれたのです。屋根の上の白い帽子姿が村上さん、下が宇一さんです。宇一さんも、親類も農家ですが、当時の農家はどこも荷物を乗せて水路を移動するための小舟がありました。

 村上さんのアルバムには、この写真のほかにも加藤さんからもらった何枚もの写真が残されていました。10月15日に撮影された村上さん宅は、やっと水は引き始めたもののなお床下浸水状態です。屋根には物置から持ち出されたむしろが何枚も敷かれ、1階軒下は洗濯物が干されています。近鉄長島駅付近か名古屋方面を臨む近鉄線路を撮った写真では、線路上には流木などが散乱し、架線支柱が折れ曲がっていました。

 やっと家の周辺の水が引いた玄関前で、大きな流木を片付けている宇一さんの姿を撮った写真もありました。

通学の足奪った近鉄線の寸断

架線支柱が折れ曲がった近鉄線路(長島駅付近から名古屋を臨む)

 木曽三川の河口にある長島町は、古くから高潮などの水害に苦しみ、人々は周囲を堤防で囲んだ輪中を築いて暮らしてきました。伊勢湾台風により長島町の堤防は15か所にわたって切れ、人口8700人のうち383人が死亡。名古屋からの道が寸断され、自衛隊の救助が入り始めたのは2日たってからでした。

 村上さんの自宅があったのは長島町北部の、近鉄長島駅から南に歩いて5分ほどの西外面(にしども)地区。三重県がまとめた「伊勢湾台風災害誌」によると、長島町では、決壊した堤防の締め切りが完了したのは北部が10月24日、南部が11月18日で、排水完了は北部が11月12日、南部が11月30日でした。

 通学に利用していた近鉄名古屋線の長島~蟹江間が開通したのは11月27日でした。このため、村上さんは名古屋市中村区烏森の親類宅に、弟、妹は桑名市内の親類宅にそれぞれ疎開しながらの学校復帰でした。村上さんによると、当時、近鉄線で東邦高校に通学していたのは村上さんだけでしたが、三重県からは名古屋電気、愛知、大同、名城大附属、中京商業などの私立高校に通学する男子生徒多かったそうです。近鉄電車が使えないため、桑名から養老線で大垣に出て国鉄に乗り換えて名古屋に出る生徒もいました。

 三重県からの通学者が多かった名城大学附属高校(名古屋市中村区新富町)では、四日市港から名古屋港まで船で渡って通学してくる生徒もいました。このため学校側は、前年に完成したばかりの鉄筋4階建て校舎の4階3教室を臨時寮にあて、三重県から通学する生徒約180人を1か月半余にわたって住まわせました。

伊勢湾台風を特集した生徒会誌『東邦』

「2階の畳が浮いてきた」語る村上さん(建て直した自宅前で)

 生徒会誌『東邦』2号(1960年3月発行)では43ページ分を割いて「伊勢湾台風特集」が組まれました。生徒の被害調査のほか、写真クラブ、社会科研究クラブ、科学研究クラブ、法規研究クラブによる調査、分析、研究結果の特集記事です。

 163件に及んだ生徒家庭の住居被害調査では、全壊17件(高校16、中学1)、半壊139件(高校133、中学6)、流失7件(高校7)に及んだこと、床上浸水による被害は153件(高校150、中学3)に達したことなど10月23日時点での学園調査結果が掲載されました。

 社会科研究クラブの記事は23ページに及んで、台風前の備え、被害と復興状況、国の政策、課題などの研究結果がまとめられました。序文では「あの日、通信網、報道網はいち早く台風ニュースを伝えた。が、その日の電波は、明日に控えた大相撲秋場所千秋楽に向けて、スイッチを入れられていたのではないだろうか――」と、多くの市民の超大型台風への〝油断〟が指摘されています。

 特集号は、集団研究、個人論文も含め東邦高校生徒たちの手になる密度の濃い内容として学園内外から高い評価を得ました。写真クラブは、中日新聞社に提供してもらった写真も含めて、被害状況の写真を特集しました。このグラビアページの最後を飾ったのは村上さんから提供を受けた、屋根の上の村上さん父子の写真でした。

 村上さんは、東邦高校時代は部活動には関わりませんでした。ただ、伊勢湾台風での自分の体験や被災現場の風景を多くの人たちの記憶に焼き付けてもらおうと、加藤さんからもらった写真を級友たちにも見てもらいました。台風翌年に卒業した11回生(1960年卒業)の卒業アルバムに収録された「伊勢湾台風」のページで使われた7枚の写真のうちの3枚は村上さんから提供された写真でした。

 

 欧州から届いた見舞いの手紙

 『東邦』2号には、伊勢湾台風被害を気遣うヨーロッパからの手紙(日本語訳)も紹介されていました。国際共通語エスペラントを使って諸外国の同世代の若者たちと文通交流をしていたエスペラント研究部員たちに寄せられた手紙です。

 伊勢湾台風を心配するフィンランドとイタリアから届いた手紙を受け取ったのは、知多郡上野町(現在の東海市)で、天白川の決壊により自宅が2階への階段最上段まで浸水した2年生の久野耕平さんでした。久野さんは連載第47回でも紹介した甲子園球児ですが、1年生の時からエスペラント研究部にも入っていました。10人近いヨーロッパの同世代の男女高校生たちと手紙の交換をしていて、伊勢湾台風の様子も書き送っていました。

▽フィンランドから

 1959年11月5日。お手紙ありがとうございました。あなたの家と村が壊滅したそうですが、本当にお気の毒だと思います。私は日本を襲った台風のことについてはフィンランドの新聞で読みました。今、あなたのお手紙を受け取るまで、あなたが溺れてしまったのではないかと心配で、心配でたまりませんでした。フィンランドでは台風は全然ありません。昨日、当地では雪が降りました。もう冬です。日本ではもう雪がふりましたか。

▽イタリアから

 親愛なる友。あなたの手紙を受け取る前に、大台風について知りました。その時、すぐにあなたとあなたの家族のことを考え、どうか、あなたの家は災害を受けないようにと祈っていました。あなたの手紙を読んだ時には、書いてある災害の大きさに本当に驚きました。まもなく私たちの市の近くの山に雪が積もり、人々がスキーに行く季節になります。あなたもスキーをやりますか?

(法人広報企画課・中村康生)

 この連載をお読みになってのご感想、情報の提供をお待ちしております。

 法人広報企画課までお寄せください。

 koho@aichi-toho.ac.jp