――吹奏楽との出会いはいつですか。
中学1年生の時です。小学校時代のサッカー部仲間が吹奏楽部に入り、流されて入った感じでした。やっていくうちに、みんなで一つのものを作りあげていく吹奏楽の楽しさにはまってしまいました。東邦高校ではあこがれだった吹奏楽部に入部しましたが、マーチングをやっているとは知らず最初は戸惑いました。中学時代は座って吹く「座奏」のスタイルしか知りませんでしたので、マーチングの存在すら知りませんでした。でも、演奏者と観客との距離が近く、お客さんの反応がよく分かるマーチングに演奏の手応えを感じ、大好きになりました。
――東邦高校に入学した当時の吹奏楽部の部員は何人くらいでしたか。
入学した2012年度の1年生は10人ちょっとで、3学年合わせても40人くらいでした。ところがこの年、日本テレビ系の人気番組でもある所ジョージさんが司会をする「笑ってコラえて!」の取材が入り、東邦高校吹奏楽部が全国から注目される“事件”が起きました。「吹奏楽の旅スペシャル」というシリーズで、全国の高校マーチング大会出場校では100人を超す部員の高校が大半の中で、40人の部員で全国大会に挑む東邦高校吹奏楽部の練習ぶりにスポットがあてられたのです。白谷峰人顧問(愛知東邦大学の学生課職員で吹奏楽団総監督)の竹刀を手にしての熱血指導ぶりが大きな反響を呼びました。インパクトは大きく、翌年、新入部員は倍増し、部員数が60人くらいになりました。
――甲子園での応援も体験しましたか。
3年生の夏の大会(6年ぶり16回目出場の第96回大会)に行きました。今や東邦高校の名物とも言えるブラバン応援スタイルになった「戦闘開始」バージョンを初めて取り入れた年です。野球部からロッテ選手応援系の曲でやってほしいという要望を受け、白谷顧問が譜面を書いてくれました。野球部とバトン部、吹奏楽部、そしてスタンドの観客も巻き込んで、高らかに奏でた「戦闘開始」。応援する側の一体感が高まり、応援の手応えをひしひしと感じました。「戦闘開始」に背中を押されるように野球部は1回戦を突破しましたが、残念ながら2回戦で敗退しました。
――愛知東邦大学1年生の時に、東邦高校吹奏楽部とともに米国カリフォルニア州の新年を祝うローズパレードにも参加していますね。
大学吹奏楽団は現在でも11人中8人が東邦高校出身。1年生の時も僕を含めた東邦高校OB部員たちが中心となり、高校生たちと一緒に参加しました。名古屋など地元でのマーチングパレードは何度も体験しましたが、比べ物にならないほどのスケールの大きさに圧倒されました。パレードする人数だけでなく応援の人数もけた外れ。さすがはマーチング文化が根づいたアメリカだと思いました。
――愛知東邦大学吹奏楽団の目標は何ですか。
団員は11人しかいませんが、活動の積み重ねで技術的には着実にアップしていると思います。出場するで大会も、東海大会は通り抜けられる力がつきました。いよいよ全国大会を視野に入れる段階に入ったと思っています。9月に名古屋大会、10月には東海大会があり、ここを駆け上がって12月の全国大会をめざします。実績を重ねていけば部員数も増えていくと思います。現在の部員数は確かに少なく、男子部員も少ない。その分迫力に欠ける面はあるかも知れません。どうしても欠かせない音は一人二役でこなす場面もありますが、全体の連帯感でカバーしていくしかありません。それも楽しい音楽活動だと思います。
――あこがれている演奏グループとかはありますか。
最近注目しているのが、東京ディズニーランドのバンドです。愛知東邦大学吹奏楽団とそう変わらない10人ちょっとの人数なので親近感があります。パーク内ですばらしい演奏をこなしているのをユーチューブの動画で見ては励みにしいます。
――将来の夢は何ですか。
小学校の先生になって、子どもたちに吹奏楽の楽しさを教えることです。僕は中村区の豊臣小学校という小さな学校を卒業しましたが、3、5、6年生の時、教員としての情熱がひしひしと伝わってくる伊藤先生という、若い男の先生が担任でした。卒業して、吹奏楽をやるようになってからも「将来は伊藤先生のような小学校の先生になりたい」と思い続けていました。小学校教員は全教科を教えなければならず、ハードルが高いことは覚悟のうえですが、頑張って目標にたどりつければと思っています。中学校と違って、小学校では吹奏楽部がある学校は少ないので、鼓笛隊になってしまうかも知れませんが、伊藤先生のような情熱を持って、子どもたちに、みんなの息を合わせて音楽を奏でる喜びを教えてあげたいです。伊藤先生は僕らの成人式にも顔を出してくれました。