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TOHO
INTERVIEW

2020.06.23

【第64回】技術の本質は文化であり共感与えるのは感性 理系文系の垣根を超えた人材育成を

副学長 経営学部長

鵜飼裕之教授、舩木恵一教授

鵜飼裕之(うかいひろゆき)

 副学長。経営学部教授。名古屋工業大学工学部計測工学科卒、同大大学院工学研究科計測工学専攻修士課程修了、大阪大学大学院基礎工学研究科物理専攻博士後期課程中途退学。博士(工学、名古屋工業大学)。名古屋工業大学助手、講師、助教授、教授。副学長、次世代自動車工学教育研究センター長、留学センター長などを歴任し、2014年4月から2020年3月まで学長。同年4月から現職。研究分野は制御工学、電力工学、ロボット工学。1954年生まれ。

 

舩木恵一(ふなきけいいち)

経営学部長。教授。早稲田大学社会科学部社会科学科卒。1983年4月、株式会社I&S/BBDO(旧第一広告社)入社。シンガポール駐在代表、マレーシア現地法人代表などを経て2002年11月退社。テキーラ・ジャパン株式会社代表取締役、オグルビーワン・ジャパン株式会社代表取締役、ネクストメディア・アニメーション社日本法人代表などを歴任し2015年4月から愛知東邦大学教授。2017年度から地域連携センター長、2018年度から経営学部長。1959年生まれ。

 愛知東邦大学では2020年4月、新しい副学長を迎えました。3月まで名古屋工業大学学長だった鵜飼裕之教授(経営学部)です。学生時代からだと名工大在籍が47年に及んだという、バリバリの理系副学長の就任は、文系の愛知東邦大学には大きな刺激となりそうです。鵜飼副学長と、外資系広告会社にも勤務し、「ビジネスには文系、理系の垣根などない」が持論の舩木恵一経営学部長に、これからの時代に求められる大学について話し合っていただきました。聞き手は榊直樹理事長・学長です。

――「文と理」を分けるナンセンスさについて、自己紹介も踏まえながら、お話しください。まず「理」の鵜飼先生、そして「文」の舩木先生どうぞ。

 鵜飼 名工大には学生のころから数えると47年おりました。社会から見ればまさに理系人間という印象だと思います。経済界の方から、文系と理系の違いは何ですかとか言われ、冗談めかして、名工大はすべての教員が理系。違いなんて分かるわけがありませんと答えたことがありました。

 それはともかく、理系とか文系とか色分けすることに私は違和感がありました。私はたまたま数学が好きで得意でした。大学、学科を選択する時に、数学を生かせるということで理系に進みましたが、文系に興味がなかったわけではありません。むしろ、将来、理系の技術者として社会に出ていくうえでは、文系に対しては、憧れのような気持ちが働きました。サークル的に同人誌を作ったりしての活動もしていました。

 愛知東邦大学のようないわゆる文系といわれる大学に来たことで戸惑いはないかと言われれば、コロナの影響で学生と接触する機会もありません。先生方とも具体的なお話をする機会がなく、まだ戸惑いを感じる前の段階です。

 文系、理系という色分けをする理由の一番大きな点は、入試科目の選択にあると思います。学問領域をどう分類するかという方法があって、それが学部であるとか学科の設置の基準になっている。その学科にふさわしい科目、例えば自然科学とか人文、社会科学とかそういう科目を選んでいくと、どうしても入試科目から文系と理系に分かれてしまいます。

 舩木 私自身も鵜飼先生がおっしゃる通り、大学受験の科目で得意、不得意がありました。歴史ものが昔から好きだったので、日本史とか世界史が受験科目と重なりました。社会とのつながりを知りたいという興味も持っていて、自然と文系ということになりましたが、特に、理科系の科目が嫌いだったわけではありません。

 しかし、大学を卒業して実際に社会に出てみると、文系も理系も全く関係がない。新卒で広告会社に入り、広告ビジネスの世界に27年間ほどいましたが、数字だらけの世界でした。広告は、企業が利益を出すために必要なプロモーション(促進、奨励)の一つです。「どう儲けるか」なので、いくら使って、いくら利益を出すかの点から、あらかじめ効果と成果を予測していく中で、やるかやらないかの判断を迫っていく。こういうビジネスでは、心を動かすということだけよりも、実際に心が動いたあげく、それは、数字的にはどうなんだということが問われる世界です。

 特に広告会社人生の中で、後半になると、インターネットが普及してきました。広告の主戦場がマスメディアからインターネットに移る過程においては、すべてネット上におけるいろんな行動が数値化できるので、マスメディア時代に出来なかったことが出来るように変わっていきました。それが結果的に、数字でモノを判断する重要性とか、ビジネスそのものがデータを持って判断する方向にシフトしていくきっかけになったと思います。

――ネット時代のビジネスはデータ中心の世界なわけですね。

 舩木 私は長く働いた外資系の企業では、同僚、上司、部下に至るまで、文系、理系なんていう分けはしていない。みんな数字に強くなければならなかったし、数字に強いからといって、クリエイティブが必要ではないことはない。説得する時は数字だが、共感を与える時にはやはり感性。世界観がある人とない人では、仕事の出来、不出来が違う。理系、文系と分けて考えているのは日本だけなんだろうと感じます。

 広告会社の中で感じたのは、人々を感動させなければならない一方で、人は感動のみで動いてくれるわけでもない、ということです。利益という点では、こうしてくれれば、こうしたお得なことが起こりますよと、理で説得したり感性で説得したり、いわば手を変え品を変えて考えなければいけません。

 さらに消費者心理も理解していなければなりません。企業会計上における広告宣伝費が、何%くらいが健全なのかというファイナンス的な感性も必要です。この効率でファンが増えていくと、ブランド認知度が将来何%上がるぞという、関数的な数字の見方も求められます。ということで、仕事上、数字と感性の分離を考えたことは一切ありませんでしたし、現実的には、いつも両方見ています。縁がありまして愛知東邦大学で働かせてもらうことになりましたが、改めて文系を意識するとかは全くありませんね。

――鵜飼先生が関わられた工学分野は、感性という曖昧模糊とした意識の世界とは一見全く異なる印象を持つのですが、いかがですか。

 鵜飼 工学という分野にずっと関わってきて、技術の本質とは何だろうかと考えた時、我々が使うのは技術の価値化という言葉でした。技術を価値にしていくための工学、という発想がこれから必要です。最終的にはやはり人の心を動かすような技術でなければいけない。これが我々技術者にとっての一つの矜持だと思います。最近、「心で工学」という言葉に関心を寄せています 。

 イノベーションということにも関わるのですが、スマホは、小さな箱の中に何千という部品が集約されて入っており、しかもいろんな人に新たな価値を提供しています。iPhoneを作ったスティーブ・ジョブズは、技術のための技術ではなく、人、社会を動かしていくのが技術であり、それが我々の最終目的だったと言いました。スマホはグーテンベルクの印刷機以来の大発見で、世界を大きく変えました。しかし、一方で心を豊かにするとともに、逆に、心を寂しくする面も持っている。正と負の両側面も持っています。

 名工大の初代学長である清水勤二先生は、技術は創造的な行為であり、広くとらえると文化そのもの、「技術と文化の本質である」とおっしゃいました。技術によって文化を変え、変わった文化によって新しい技術が生み出される。文化をどんどん生み出していくのが技術なんだという考え方です。文系とか理系とか、そういう分け方、考え方がそもそも必要ないのではないかと思います。

――もはや「うちは文系の大学だ」という看板が意味をなさない時代が来ていると。

 鵜飼 経営学部という観点で見れば、舩木先生も言われたように、ビジネスがどんどんデータ化している流れがあります。データサイエンスとか、データビジネスとか、データに依存したビジネス社会に向かう時、そこで活躍できる人間を育てることを目標にしてしまえば、明らかに、データをしっかり分析でき、データを使って柔軟に推測をすることができる能力を持った学生を育てることが大切になる。ある意味、社会に送り出す時の目標とする人材像は、描きやすいのではないか、そういう気がします。それに合わせてカリキュラムをどう作るか、それに相応しい学生をどう集めていくのかで、大学としての方向性は出しやすいのではないでしょうか。

 舩木 1995年にWindows95が出たあたりから、自分の主戦場がマスメディアからインターネットに移ったことを実感しました。外資系のアメリカ企業の動きは早く、インターネット、デジタル、データをベースとした広告ビジネス会社をどんどん立ち上げた。そういうサービスは日本にはありませんでしたが、英語がしゃべれたとか、外国人と仕事をすることに抵抗感がほとんどなくなっていましたから、スカウトされて、そういった新しいビジネスモデルの広告会社で、日本法人を立ち上げる仕事をしてきました。

 アメリカの効率第一主義では、儲かるか儲からないか、効率が良いか悪いかという切り捨て、判断基準が全て。ある程度成果を上げても、もっと効率がいいものに取って代わられ、効率が悪いものには手を出さない、みたいなものが、マーケティング、ブランディングにどんどん押し寄せてきた。しかし、一方で、人間性に欠けるというか、グレーゾーンがないというか、そういうようなやり方にも息苦しさを感じていました。

 「世の中は全て数字ではないぞ」という点を分かる人間を育てられるとしたら、それはやはり文系の大学かなと思ったりもします。人間の判断力、人間の感性ということを突き詰めていかないと、人工知能に仕事を取って代わられてしまうでしょう。人工知能が出した結論に疑いを抱かない人ばかりが育ってしまう。それはどうかなという疑問です。

――愛知東邦大学のこれからの課題についてはどうお考えですか。

 鵜飼 アイデンティティティが一つの切り口だと思います。東邦学園の校訓「真面目」と建学の精神、真に信頼に足る人物の育成であるとか、創設者の下出民義さんの言葉があります。それを大学のアイデンティティの一つとして根付かせることも必要ではないか。まずは愛知東邦大生としてのアイデンティティ、それから個々の人間としてのアイデンティティを作っていくための教育環境を整備していくべきではないかと思います。

 来年でやっと開学20年の愛知東邦大では、卒業生はまだ40歳ですが、東邦高校の卒業生なら旧制時代からは相当数の方々がいる。特色のある方、アイデンティティのプロトタイプ(原形)みたいな方を見本にしたらいいと思います。これから作りあげていくうえでいい武器になるのではないかと思います。

 舩木 学生たちが所属意識を確認し、それを発展させたいという図式が、うちはまだ確立されていないと思います。学園の歴史は100年もあるが、ブランドの形、色というものがまだバラバラのような気がします。100年の歴史をベースにするという点では、私たちが気づいていない、あるいは公開していない、もしくはしっかりしたコミュニケーションに耐えるストーリーに変えていないだけで、100年の中にはいろんな人物がいただろうと想定できます。その中からクローズアップして、ヒューマンストーリーとして、100年史を綴ることも面白いと思います。ほかの大学には出来ないことですから。

――これからの大学、ひいては学園全体の歩む方向に関して、非常に示唆に富むお話をして頂けました。ありがとうございました。

最終的には人の心を動かすような技術であるべきでは

説得する時は数字だが共感を与えるのはやはり感性

これからの学園の方向性を考えるうえで示唆に富んだお話でした

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