検 索

寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第11回

甲子園初出場②

1934

更新⽇:2017年7月12日

肩組み合う20校の主将たち

出場20校の主将。左から6番目が東邦商業の河瀬主将

東邦商業が甲子園初出場、初優勝した第11回選抜中等学校野球大会。東邦の戦いぶりを河瀬幸介主将の父虎三郎さんが残した優勝記念アルバムを通して振り返ります。

アルバムを開くと「国旗掲揚式」に加わった参加20校のキャプテンたちが肩を組み合う写真がありました。左から6番目が河瀬主将。右に中京商の田中主将、享栄の近藤主将と続きます。写真の下には虎三郎さんが家族ぐるみで応援するため買い求めた大会期間(3月28日から8日間)の連続切符(各6枚続き番号)の「第壱日」の指定席券が張られていました。

開会式の写真には河瀬主将の勝利への宣誓とも言える記事が張り付けられていました。「初めての入場式」という記事です。「東邦ナインは至上の感激に満ちている。式後、河瀬主将は胸を躍らせて語る」という書き出しに続いて、河瀬主将のコメントが続きます。
<何という荘厳さでしょう。この晴れの入場式にわれら一同参加して、東邦野球史を飾る光栄に喜んでいます。この大観衆、この群雄、これを見るとき戦意は自ら湧き出ます。31日の初陣は必ず意気と熱で勝ちます。>

愛知県から中京商業、享栄商業に続く「№3」格で出場した東邦に対する評価は「1試合でも勝てば上々」といった見方が多く、逆に言えば東邦にとっては気楽な立場であったと言えます。しかし、この河瀬主将の決意表明からは、東邦が勝利への執念に燃えていたことが伝わってきます。

 

 

開会式の精鋭軍

入場行進を終えて勢ぞろいした選手

開会式での入場行進を終えて出場校が整列した大きな写真。虎三郎さんは「全日本中等学校選抜の精鋭軍」のタイトルを書き込むとともに「Commencement of the matches of all Middle School on the Koshien ground」と英文も書き込んでいました。

大会後に東邦商業が発行した記録集『春の甲子園に於ける初陣の優勝を顧みて』(以下「顧みて」)によると、東邦商業の宿舎である球場東側の若狭屋旅館には大会2日目の3月29日、「戦場訓」が掲げられました。

一、各自士気旺盛で物に動ぜぬよう胆力を養へ

二、摂生を重んじ、飲食、便通、衣類、入浴などに注意せよ

三、練習に注意し、細心の研究で大いに技を磨け

四、疾病および負傷をしないように

五、常に団結して一致行動をとれ

「顧みて」のあいさつ文で野球部長の隅山馨は次のように書いています。(抜粋)

「3月25日、万歳の声に送られて、名古屋駅から汽車が動き出した時の心境は、悲壮を通り越して無我夢中でしたが、その夜、憧れの甲子園へ着いて球場を右手に眺めつつ若狭屋に陣取った時から、一同が忍苦と猛進の意気に甦ったわけでございます」。

初陣で京都一商に快勝

宿舎でくつろぐ選手たち

東邦は1回戦が不戦勝だったため、初陣は大会第4日の3月31日、2回戦の京都第一商業学校戦でした。隅山は「顧みて」のあいさつ文で「前日このチームの練習を見てから、実は大した威力はないものと思いました」とも書きましたが、隅山の直感があたったのか東邦は3―0で勝利しました。

試合は1回終わり頃から降り出した雨の中で行われました。6回表東邦は四球の河瀬幸介(5年)を岡田福吉(3年)が送り、片岡博国(5年)のセンター左タイムリーヒットで1点を先制。強まる雨の中、8回には1死後、岡田が四球で出塁。片岡が1、2塁間ヒット、村上一治(4年)の左翼線3塁打で2点を加え試合を決めました。

 

東邦商業 000 001 02=3

京都一商 000 000 00=0(8回降雨コールドゲーム)

 

アルバムには大会第2日目、第3日目の指定入場券とともに選手たちが若狭屋旅館でくつろぐ写真がありました。すでに京都一商から甲子園での1勝をもぎ取った余裕からか、将棋盤を囲んでいる選手、頭に手ぬぐいを巻いた選手もいます。レコードを聴きながら腕相撲に興じる選手、元気に校歌を口ずさむ選手たちもいました。

明石中、海南中を破り浪華商と決勝戦へ

明石中を破りベスト4進出の決めた新聞記事

東邦は4月4日に行われた3回戦(準々決勝)で、優勝候補でもあった明石中学を6-3で制し、ベスト4に名乗りを挙げました。明石中学は2回戦で沢村栄治投手を擁する京都商業と対戦、沢村に12三振を奪われましたがエース中田武雄の力投で2-1で勝ち上がってきました。中田は前年夏の甲子園準決勝で、中京商業との延長25回の試合を投げきったことで知られる左腕です。しかし東邦戦では指を負傷する悲運に見舞われ、力を出し切れませんでした。

 

明石中学 001 010 100=3

東邦商業 020 300 10x=6

 

東邦は2回に2点を先取。4回には明石の守備の乱れに加えて河瀬、村上のタイムリーで3点を追加、7回にも満塁で片岡が押し出し四球を選んでさらに1点を追加しました。連投の立谷は明石打線に11四球を与えながらも3安打3点に抑え込みました。

アルバムには「初陣東邦の鋭鋒」「ベスト4へ猛進軍」などの勇ましい見出しが躍る大阪毎日新聞の記事が入場券とともに張ってありました。

勢いに乗る東邦は翌日の4月5日に行われた準決勝で和歌山県の海南中学も5―2で退け、堂々の決勝進出を決めました。

 

海南中 000 020 000=2

東邦商 021 200 00x=5

 

東邦は2回、死球で埋まった2人を置いてラストバッター立谷が左中間に3塁打して2者生還。3回にも1点を追加して4回には立谷が2本目のヒット、河瀬も内野エラーで出塁し、片岡のタイムリーで2点を加え5―0とリード。立谷は投げても海南を4安打2点に抑え込み投打で見事な活躍を見せました。

「顧みて」で隅山は、「立谷が投球モーションを起こすたびに数万の観衆がボール、ボールと声をそろえてどなったのには閉口しました」と、地元和歌山の応援団で埋まった甲子園での戦いにくさにも触れています。決勝戦はまさに地元の浪華商業学校との対戦となりました。

 

浪商に勝って郷土2校の無念さ晴らして

入場式前日に甲子園球場にそろった出場選手たち

センバツの第1回大会は1924(大正13)年に名古屋市昭和区の旧八事山本球場で開催されました。甲子園球場の完成で第2回以降は甲子園に舞台を移しましたが名古屋はセンバツ発祥の地であったのです。しかし、過去10回の大会で一度も優勝旗を名古屋に迎えていませんでした。第11回大会では名古屋から中京商、享栄商、東邦商の3校が出場しており、東邦の決勝進出がかかった戦いに市民はラジオの実況中継にかじりつき、応援に夢中になりました。

「弱冠の花形東邦商業を送った地元名古屋は、対海南戦の幸先よしの報にラヂオのあるところ、ウインドの前、喫茶店など午前11時半にはどこもすばらしい人だかりを見せた。東邦商業学校では新学年最初の授業を始めたが、教員室で鳴るラヂオの前には放課時間を待ちわびたごとく、生徒たちがどっと押しかけ、昼飯抜きでの連中が出て、続く勝報にみなにこにこで、最後は万歳の狂騒的乱舞を繰り広げた」。(「顧みて」より)

東邦商業の決勝戦の相手に決まった浪華商業はこの大会では2回戦で中京商を退け、準決勝では享栄商業を制して勝ち上がってきていました。享栄は2回戦で徳山商業(山口)と延長19回を戦い5-3で辛勝、準々決勝でも浪華商と延長15回0-0で引き分け、翌日再試合で2-4で惜敗しているだけに、「東邦に郷土2校の無念さを晴らしてほしい」という名古屋市民の期待はいやがおうにも高まりました。

文芸部顧問でもある勝崎猪之助教諭は「子甲」の名で、教え子たちの健闘を短歌に残していました。

京一商を3対0にやぶりたる東邦の幸先ぞよき

若武者の東邦軍はけなげにも古豪明石をくみふせにけり

海南にとどめをさししサイレンのひびきを我は天楽ときく

(法人広報企画課・中村康生)

 

この連載をお読みになってのご感想、情報のご提供をお待ちしております。

法人広報企画課までお寄せください。

koho@aichi-toho.ac.jp

 

 

一覧に戻る

学校法人 東邦学園

〒465-8515
愛知県名古屋市名東区平和が丘三丁目11番地
TEL:052-782-1241(代表)