第26回 コラム② 大正の風景~下~1926

2018年2月19日

「徴兵令認定記念」運動会

「徴兵令認定」を記念して開かれた秋の運動会

  『東邦』4号に掲載されたもう1枚の運動会の写真も「秋季運動会」と説明書きがあるだけです。ただ、「雑録」という一般記事の中で、魚住義紀教諭が「秋季運動会の記」という記事を書いており、写真は神嘗祭(10月17日)に開催された運動会の写真であることが分かります。魚住教諭は、「此の日は、吾等が待ちに待ちたる徴兵令の認可ありたるを祝し、特に盛大なる秋季運動会の催さるぬ日なり」と書き出しています。
 東邦商業学校は1923(大正12)年3月、4年制の甲種(修業4年程度以上)商業学校として開校しましたが、1924年(大正13年)に「実業学校卒業者を中学校卒業者と同等以上の学力をもつものと認める」という文部省告示が出され、1925(大正14)年2月に学制の変更(修業年限5年)が認可されました。
 そして1926(大正15)年9月には陸軍省と文部省告示によって「徴兵令による中学校と同等以上の学校」として認められました。50年史の年表でも、この日の運動会は「徴兵令認定記念運動会」と記録されています。
 前日までの雨で、運動会の準備はこの日早朝から、役員の努力でトラックにコースが引かれるなど慌ただしく行われました。「万国旗仲天に翻る下、500の健児整列し君が代大合唱」と魚住教諭と紹介しています。
 神宮、皇居の遥拝が終わると、数発の号砲とともに運動会が始まりました。プログラムは、服装競走、珠算競技、障害物競走、部対抗レースなど盛りだくさんです。東邦ならではのボーイスカウトによる担架、テント張り競争も繰り広げられました。
 そして、小学校リレーでは前年度優勝の葵小学校がまたも優勝旗を獲得しています。最後のメドレークラスリレーでは4年B組が優勝。石油缶の陣太鼓、団歌の絶唱に「幾千の観衆が狂喜し、未だかつて見ざる盛会裡に午後4時を以て競技万端終了し、国旗降納式、校歌、万歳ありて会を閉ず」と記事は締めくくられています。

水泳部の初合宿

知多大野(常滑市)で開かれた水泳部合宿

 写真ページには水泳部が1926年7月21日から28日まで、知多大野(常滑市)で行った合宿の写真もあります。4号の「水泳部記事」によると、前年(1925年)に発足したばかりの水泳部は、1学期試験成績発表があった翌日の7月21日午前8時、愛電(愛知電気鉄道。現在は名鉄)熱田駅に集合。約1時間後に大野駅に到着し、宿舎の巌松山登龍寺(幼稚園)に投入、総員29人(途中1人が参加)が昼食後、早速、愛電経営の海水浴場で第1回水泳練習を行いました。
 「水泳部記事」の最後には「会計報告」も記載されています。愛電熱田線での大野駅までの電車賃が31人分で27円84銭。泉湯代が1回2銭で161人分で3円20銭。瓜30個(水上運動会)3円、賄屋賄女心付6円、部屋代40円、賄費146円などで合計270円。そして、残額生徒へ払い戻し30円で合計300円の会計報告となっています。
 『東邦』3号には校友会費(クラブ活動)の最も古い記録として、「大正14年度校友会会計報告」も掲載されています。支出総額は895.12円で、『東邦』を発行していた文芸部210.36円、競技部273.84円と3桁ですが、弁論部70.43円、排球部20.80円、相撲部24.20円、庭球部39.30円、野球部(軟式)18.00円、水泳部12.94円となっています。
 校友会創立直後とはいえ、前年度予算が13円弱の水泳部が270円をかけて夏合宿をするとなると経費の大半は生徒負担ということになります。30人参加したとして1人当たり10円の参加費ということでしょうか。大卒初任給が70円と言われて時代でした。

下出義雄の欧米歴訪

北米滞在中の視察団。右から6人目が下出義雄

 1926(大正15)年12月15日発行の校友会雑誌『東邦』4号の写真ページには校主代理だった下出義雄の欧米歴訪中の写真もが掲載されました。
 下出は名古屋実業団による訪米視察団を率いて同年8月17日に名古屋駅を出発し、横浜からハワイ経由の船旅で渡米。9月はサンフランシスコ、ソルトレイク、シカゴ、ニューヨークを訪れて産業、社会的施設を視察しました。10月イギリス、11月フランス、12月ドイツ、オランダ、デンマーク、1月イタリアと旅を続け、2月に帰国しました。
 4号には「下出先生御消息」「下出先生御通信」として、通信社や新愛知新聞の記事、下出から届いた便りを通して下出義雄が9月29日に、ニューヨークから大西洋航路でイギリスに向かうまでの消息を伝えています。
 掲載された写真の説明には「欧米歴遊中ノ下出先生。右カラ6人目」としかありません。消息を伝える記事では8月31日、ホノルルでの、「州知事WOファーリレントン氏を訪問」の記事もありますが、訪米ミッションからしても、9月22日、ニューヨークの銀行クラブに於けるYMCA総評議会主催の晩餐会の時の写真と見られます。
 9月4日付で下出義雄が生徒たちに書いた便りです。「東邦商業学校生徒諸君へ 拝啓。17日の太平洋航海も無事、本日初めてアメリカの土を踏み申し候。幸いに健康。十分各方面視察致す候。生徒諸君!天高く馬肥ゆるの時期、大いに各方面に御活躍を祈る上候」。

ボーイスカウト活動と三島通陽

ボーイスカウトキャンプ中の三島子爵(右端)と下出義雄

 写真ページには下出義雄のボーイスカウトキャンプ中の写真もあります。写真説明によると、右端は少年団日本連盟副理事長の三島通陽(みちはる)子爵(1897~1965)。その左が少年団名古屋連盟副理事長の下出義雄ですが、場所、日時での記載はありません。1922(大正11)年、後藤新平を中心に初の全国組織「少年団日本連盟」が結成されると、三島は25歳で副理事長に選任され、ボーイスカウト運動を日本に広めた人物として知られています。
 4号の1926年「学校日誌」によると、三島は2月23日午後1時から東邦商業を訪れ、ボーイスカウトについて講話しています。ボーイスカウト活動普及を通じての下出との緊密な交流があったからなのでしょう。
 下出義雄は9月4日、訪米先から、「東邦健児団諸君」を宛先にした手紙を書いています。
 <拝啓。8月1日より5日迄キャンピングを最後に、小生は太平洋5500哩(マイル)の航海を終え、今アメリカの土を踏みしめ候。親愛なる我がスカウト諸君!ホノルルにも、サンフランシスコにも親しきボーイスカウトの姿を見、炎熱焼くが如き日の幕営を思い、諸君の自重を切に祈り居り候。在米 マスターシモイデ>
 手紙に書かれた「8月1日より5日迄」のキャンピングこそが、写真に収められた三島と下出のボーイスカウト姿であると思われます。下出が渡米のため、名古屋駅を出発したのが8月17日。出発準備で多忙の中、下出は直前まで三島のために時間を割いていたことになります。三島は36歳の下出より7歳下の29歳の時でした。

矢田績翁の原稿行方不明事件

名古屋西図書館2階広場にある矢田績翁の像(2018年2月18日)

  『東邦』4号は表紙も入れると90ページですが、このうち5ページから25ページまでの21ページが福澤諭吉の甥で、「三井中興の祖」とされる中上川(なかみがわ)彦次郎の実業界での歩みを紹介した記事で占められています。表紙目次では、「中上川彦次郎氏を憶う」の題で矢田績(せき)(1860~1940)の名前があります。
 福沢諭吉の門下生である矢田は中上川の山陽鉄道社長時代の秘書でもあり、中上川が三井銀行に移るのに従い三井入りしました。城山三郎『創意に生きる中京財界史』(文春文庫)によると、矢田は三井銀行名古屋支店長時代には、電気事業参入を目指す慶應義塾の後輩である福沢桃介を下出民義に引き合わせました。

 この後民義は桃介とともに、名古屋電灯、電気製鋼所(後の大同特殊鋼)の事業に大きく関わっていくことになります。民義より2歳年上の矢田は下出家にとっても大切な名古屋財界の重鎮でした。
 貴族院議員でもあった矢田は大正15年5月2日、東邦商業弁論部主催で開催された近畿中等学校雄弁大会での講演依頼に応じ、名古屋市会議事堂で、「中上川彦次郎氏を憶う」の演題で講演に臨んだのです。
 その講演録が4号に掲載されるはずでした。ところが掲載を予定していた講演筆記録は、矢田本人にも目を通してもらい、準備されたにも関わらず掲載されませんでした。下出義雄の外遊での慌ただしさの中で、原稿が行方不明になったのです。そのお詫びと悲痛とも言える弁解を、橋本千一教諭は本文を紹介した前書きで以下のようにひたすら詫びました。
 <矢田績翁の御光来を得て、中上川彦次郎氏につき実に尊き御講演を得ました。筆記録は茲に掲ぐることとして、御多忙なる矢田翁の御検閲まで経て置きました。然るに下出義雄先生御外遊多忙の際、その保存場所を失念して、今回掲載に間に合わなくなりました。誠に申し訳なきことであります。発見次第、次号に掲載致すのでありますが、矢田翁の御講演強く耳底に在り、如何にしても早くその片影なりとも伝えたく、依って名古屋公衆図書館に到り、矢田翁より寄贈された菊地武徳氏著『中上川彦次郎君』なる一書より、中上川氏の伝を摘録し茲に記することとしたのであります――>
 お詫びの証とでもいうべき21ページに及んだ中上川彦次郎特集ページ。下出義雄の外遊は、留守番の教員たちにとっては冷や汗ものの〝大事件〟をもたらしていたのです。
 矢田はこの講演前年の1925(大正14)年4月、財団法人名古屋公衆図書館を開館し、1939(昭和14)年)には名古屋市に寄贈。現在の名古屋市西図書館(西区)に引き継がれています。


(法人広報企画課・中村康生)

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