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寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第57回

古い皮袋に新しい酒を

1967

更新⽇:2019年7月8日

女子秘書・商業デザインコースの新設

女子秘書コース1期生たちと主任の榊文子講師(前列中央)

 東邦学園短期大学(以下東邦短大)は商業科(男女共学)のみで1965(昭和40)年4月に開校しましたが、新入生が150人の入学定員を上回るようになったのは開校3年目の1967(昭和42)年度からでした。1年目96人、2年目95人から、257人と一気に200人の大台を突破し、学生数も倍増。女子学生の増加でキャンパスに活気と華やかさが訪れました。

 志願者、入学者増の大きな要因となったのは、従来の会計、経営、貿易コースに加え、「商業デザインコース」と「女子秘書コース」の新設でした。

〇商業デザインコース グラフィックデザインを学び、デッサン、レタリング、商業写真、レイアウトなどを課し、営業マン、宣伝係等としての技能、または商業デザイナーの基礎的教育を行う。

〇女子秘書コース 人間関係、速記、文書実務、タイプ、会話その他秘書または重役室勤務に適応する選択科目を課し、教養豊かな人材を養成する。

 入学案内でこう紹介された2コースについて『東邦学園50年史』(以下50年史)は、「1960年代の激変するわが国経済社会における企業活動は、新たな人材を求めていた。商業学という古い皮袋に新しい酒を注ぎ入れることが必要だったのである」と商業デザイン、女子秘書コースが誕生した社会的な要請のあった背景を指摘しています。両コースとも、名古屋地区の短大ではまだめずらしく、商業デザインコースには96人、女子秘書コースには22人の入学者がありました。

 初めて新入生が定員を大幅に上ったことについて50年史は「模索の中からようやく一つの方向性が切り開けたのである」と書いています。

 

主任教員は33歳の花形デザイナー

1期生とともに腕を組む主任の岡本講師。前列左は原さん

 商業デザインコースの主任教員として、33歳で専任講師として就任したのは岡本滋夫氏(85)(東区でデザイン事務所経営)です。その後、助教授を経て教授となった岡本氏は愛知学芸大学(現愛知教育大学)美術科を卒業。29歳の時にグラフィックデザイナーの登竜門と言われた日本宣伝美術会(日宣美)展に入選するなど注目されていたデザイナーでした。東邦短大に迎えられてからも自らデザイン事務所を設立し意欲的な創作活動を続けました。

 岡本氏によると、デザイーとして外資系商社に入社しニューヨーク勤務中に、名古屋の画材店社長を通して、東邦短大から商業デザインコースの主任教員の就任要請があったそうです。帰国し、東邦高校(東区赤萩町)で短大の増田繁夫事務部長を通して説明を受けた後、会社側の了解を得たうえで就任を受諾。増田氏と打ち合わせを重ね、新コーススタート準備を進めました。

 開設1年目の専任教員は岡本氏だけでしたが、岡本氏は交流があった名古屋で活躍する日本画家の丹羽和子さんに非常勤講師として応援を依頼。女子美術大卒で、新制作協会を舞台に活動していた丹羽さんによるデッサン授業も行われました。

 96人の新入生(女子22人)の1人である服部行晴さん(70)(中区で服部デザイン事務所経営)は名古屋市立工業高校出身。「僕らの世代の多くがグラフィックデザインにあこがれた時代でした。タイムリーに誕生した東邦短大は18歳年齢のハートをぎゅっとつかんだのではないかと思います」と振り返ります。

 同級生の原正さん(70)(北区で原デザイン事務所経営)は東邦高校出身。愛知県立芸大受験に失敗しての入学でした。「岡本先生は〝社会に認められないデザインは意味がない〟という方針で、中区伏見にある有名な画廊など、教室から飛び出しての授業もよく行われました。若く行動力のある先生ですから、デザインコースは活気にあふれていました」と語ります。

華やかに女子秘書コースも始動

短大時代の思い出を語る戸澤さん

 女子秘書コースの主任教員として、舵取り役を担ったのは後に短大第5代学長(1980年4月~1984年3月)となった榊文子でした。短大後援会誌「邦苑」17号(1996年3月発行)に榊は当時の思い出を寄稿しています。諸般の事情から、ピンチヒッターとして主任を引き受けざるを得なかった経緯を振り返りながら、女子秘書コースの講師の陣容を誇らし気に紹介していました。

 「米国領事館の第一秘書の槌谷定子先生、中日新聞記者の河合文子先生、社員研修の第一人者、根岸睦子先生、画家の丹羽和子先生、NHK俳優の津田弥生先生、タイプの市村恵美子先生。それぞれ秘書実務、文章作成、話し方やマナー、接遇などを担当してくださり、私はコーディネーターを務めたと思っています」

 槌谷さんは戦後のGHQ体制下、三重県軍政部の日本人スタッフとしても勤務。東海北陸地方民事部経済課で4Hクラブ(農業青年クラブ)の育成にも努めました。津田さんは、NHK名古屋のテレビやラジオに天野鎮雄さんらと出演するなど活躍していました。丹羽さんはデザインコースとの兼務だったようです。市村さんは金城学院OBで同学院との兼務で英文タイプを指導しました。

 1期生となった3回生の田中(旧姓阿部)ひろ子さん(豊田市)は、「行儀作法とか話し方を学べるのでは」という期待で、県立岡崎北高校から入学しました。「津田先生には話し方を教えていただきました。授業回数は多くはありませんでしたが、俳優だけあってきれいな先生でした」と懐かしそうでした。

 田中さんは卒業後、結婚するまで、名古屋駅前の大名古屋ビルヂング9階にあった、大成建設で受け付けと事務の仕事をしました。

 同級生の戸澤(旧姓中村)操さん(名古屋市北区)も「秘書コース」という名前にあこがれて東海女子高校から入学しました。「演劇をされていた津田先生は行動的な先生で話がとてもおもしろかった。市村先生から習った英文タイプも役立ちました」と言います。

 戸澤さんは栄の丸善に就職し、文具課で働きました。「面接で〝うちは秘書はいらないんですけど〟と言われましたが、〝秘書でなくてもいいですから〟と必死に頼み込みましたよ」と苦笑まじりに振り返りました。入学案内に盛り込まれた「重役室勤務の秘書」への道のりはまだまだ遠かったようです。

榊文子元学長の人脈と行動力 

商業デザインコース誕生当時を語る岡本氏(左は服部さん、右は原さん)

 岡本氏は、東邦短大への就任を引き受けるにあたっては「姉が榊文子先生と同じ県一(旧制愛知県第一高等女学校、現在の明和高校)出身であったことも東邦に親近感を感じるきっかけになりました」と言います。岡本氏はさらに、講師陣集めでは、「榊先生の、各界で活躍する〝県一人脈〟が生かされたのではないか」といいます。

 下出義雄の長女である榊は県一を経て1941年に聖心女学院専門部(現在の聖心女子大学)英文科を卒業。翌年、当時、名古屋大学工学部助教授だった榊米一郎氏(豊橋技術科学大学の初代学長)と結婚。カトリック信者でもあり、子育てが一段落すると南山教会を拠点にボランティア活動に参加するとともに、名古屋大学教授となった米一郎氏の秘書役もこなしました。

 東邦短大の女子秘書コースの責任者を託された榊は次々に行動力を発揮していきました。その一例が1968(昭和43)年4月に開設された「生活経済コース」の主任教員として招かれ、後に学長を務めた橋本春子氏のスカウトです。

 橋本氏は「邦苑」15号(1994年3月)に掲載された「東邦短大と私」という寄稿の中で榊との出会いと就任当時の東邦短大の活気をつづっています。1968年2月、榊は教員の小津昭司氏(当時は講師)とともに、学生募集のため瀬戸市の聖カピタニオ女子高校を訪れました。校長として対応したのが橋本氏でした。橋本氏と小津氏がともに同じ愛知大学の出身であることが分かり、話が弾みました。それから間もなく、榊は橋本氏に東邦短大教員への就任を要請。「嬉しく思いましたが、責任ある立場にあったため退職願いがなかなか聞き入れられず、東邦への移籍が決まったのは3月末ぎりぎりのことでした」と橋本氏が振り返るように、結果的には榊のヘッドハンティングは成功しました。

 

キャリアウーマン養成への決意

東邦学園短期大学の学生数の推移(学校基本調査による)

 橋本氏は「秘書コースの主任は榊文子先生。粒ぞろいの素晴らしい人たちの集団でした。先生の熱意ある厳しいしつけを受けて、学生たちは礼儀正しく育ちましたが、半面、娘らしい華やかさも備えていました。秘書コース1期生の戸澤操さんは英語の得意な真面目な学生でした」とも思い出を書き残していました。

 榊が東邦短大初の女性学長に就任、豊橋技術科学大の夫とともに全国でも珍しい〝おしどり学長〟の誕生を紹介した1980年5月2日の読売新聞(当時は中部読売新聞)の記事の中で、学園常務理事となっていた小津昭司教授が、女子秘書コース誕生時を振り返っていました。

 「全国でも大学で秘書養成コースはほとんどなく、ましてや地元で教える人を探すのは大変でした。文子先生は数少ないキャリアウーマンだったわけです」

 記事の中で榊は学長就任から1か月を経ての決意を、「10年前の経済情勢と今とでは大違い。高度経済成長時代は女性の働く意識を甘やかしすぎました。これからは、女性が職を得、働き続けるのは簡単な時代ではない。しっかりしたキャリアウーマンを育てるために、やれるだけのことはやってみたい」と力強く語っていました。

(法人広報企画課・中村康生) 

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