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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第58回

2代目学長の挑戦

1967

更新⽇:2019年7月19日

隅山初代学長から細井学長へ

細井学長の「創刊の辞」で始まる『東邦学誌』第1号

 東邦学園短大では1967(昭和42)年4月、女子秘書コースと商業デザインコースの新設を置き土産に隅山馨初代学長が退き、2代目学長に南山大学を退職した細井次郎が就任しました。

 隅山は1894(明治27)年1月生まれ。73歳での学長勇退でした。卒業した愛知一中、神戸高商では、ともに東邦商業理事長・校長・だった下出義雄の後輩にあたります。東邦商業では下出に託され、野球部の初代部長に就任し、甲子園選抜では1934(昭和9)年春に初出場初優勝に導きました。

 下出、隅山にとって共通の恩師である愛知一中校長でマラソン王と呼ばれた日比野寛が創立し、下出が経営を引き受けた金城商業学校の立て直しでは隅山が校長として尽力しました。隅山は専務理事として東邦短大開設も陣頭指揮し、初代学長に就任していました。

 細井は1897(明治30)年12月9日、東京生まれ。東京帝大哲学科に入学し教育学を専攻しました。カトリック教会の修道会である神言会が経営する北京輔仁(ほじん=カトリック)大学の教授、副学長にも就任。戦後もカトリック系の清泉女学院学監、上智大学講師、清泉女子大学副学長などを務め、1952年から開校して間もない南山大学教授に。南山大学を70歳で退職し東邦短大学長に就任しました。

 南山大学紀要『アカデミア』65号(1968年)は「細井次郎先生退職記念号」として発行されました。細井は「教育五十年」のタイトルで、歩んできた教育活動での半世紀を振り返るとともに、東邦学園短期大学学長として迎えられたことについて、「すでに半年、常に新しい責任を感じつつある」と書いています。

 また南山大学学長だった沼沢喜市氏は、細井と創立されたばかりの学園との運命的な関わりについて書いています。

 「先生は、自分はいつも新しく始められる学校に招へいされ、その学校の創立のち初期の基礎づくりに協力する運命を担っている、ともらされました。確かに清泉でも輔仁でも南山でもそうでありました。そして今度の東邦でもそうのようであります。こういう運命のようなものも、先生の教育者にして教育学者としての理想と結びついているのではないかと思われます」

「短大の技能教育支えるのは教員の旺盛な研究心」

研究心の大切さを訴えた細井学長

 細井は学長就任のあいさつで、東邦短大を「未熟児」に例え、大学の構えを定着させることによって、大学としての骨格を強化する方針を強調しました。短い準備期間で、東邦商業時代からの人脈を頼っての教員集め、最低限必要なだけの建物や施設。細井にとってはこれまで関わってきた大学に比べ、頼りなく見えたのでしょう。

 「教員会議」の名称は「教授会」と改められ、教員の自宅研修日が週2日と決められました。細井は「短期大学の目標は技能教育」と位置づけつつも、教員には教育活動と同時に、研究活動に力を入れるよう求めました。

 学長就任から1年を経た1968年3月には、教員たちの研究紀要『東邦学誌』第1号が発刊されました。細井の「創刊の辞」です。(抜粋)

 「大学は教育と研究のための機関であるという考えを短期大学に及ぼすのは至当なのか。或いは短期大学は単なる教育機関であって研究機関ではないというのが正しいのか。これは、短大に与えられた一つの課題である。私には私の言い分がある。高等教育の普及が社会の大きな要求になった今日では、大学の性格にも変容が生じている。何を残し、何を加えるかを誤またぬことこそ、なさねばならぬ私共の仕事である。

 時代の要請する技能教育を可能にする短大は、教育の内容や方法において独自の特色を持つべきであるが、この教育に従事する教師の研究的職能は決して軽視されるべきではない。否むしろ、旺盛なる研究心の所有者にして初めて、この課題にみちた短大に於ける技能教育に適する教育者ではあるまいか。開学3年目の今日、私共の研究業績を世に送ることの出来たことを喜ぶとともに、学界先人各位の高教を期待してやまない」

 学長として2年目の1968度年入学式で細井は、改めて「大学は教育と研究の場である」と強調しました。教員として赴任したばかりの橋本春子元学長は「70年史」への寄稿で、この時の細井の言葉に「新鮮な感動」を受けたと振り返っています。

『東邦学誌』に掲載された9論文

高校野球部バックネットを利用した東邦短大の看板

 『東邦学誌』第1号には、社会科学、自然科学、人文科学の3分野教員7人による計9本の論文が掲載されました。(教員の肩書は当時)

 社会科学系の論文を寄せたのは4人です。安永寿延助教授は、「魔術からの解放~マックス・ウェーバーにおける合理化の問題~」のテーマで執筆しました。安永氏は名古屋大学文学部卒で一般教育科目の社会学を担当。1968年3月で東邦短大から和光大学に転出。教授、人文学部長、和光学園理事を歴任しました。

 「明治前期近代化をめぐる思想状況~中江兆民の思想傾向を中心にして~」を論じたのは杉本公義助教授。杉本氏は広島大学経済学部卒。専門は経済史で短大開校時は教務課長を兼務しました。

 小西文夫助教授は「企業の自主的経理について」を執筆。小西氏は神戸商業大(現在の神戸大経済学部)卒。岐阜県の商業高校教諭を経て1966年に東邦短大に就任し、産業経済論を担当しました。

 講師だった小津昭司氏は1人で3本の論文を載せました。「税務行政における秘密性について~いわゆる標準率・効率表の裁判例を中心として~」「判例研究1 会社の使用人兼務役員に対して支給する賞与の性格等」「判例研究2 同族会社の従業員に対する賞与の支給の損金性を否定された事例等」です。

 小津氏は愛知大法経学部卒。愛知県庁勤務を経て1966年から東邦短大に勤務しました。名古屋市の県立松蔭高校生時代は弁論部員で東邦高校にもよく足を運び、当時の下出貞雄理事長から「どんな苦労をしても大学に行きなさい」と助言を受けたといいます。

 自然科学系では千賀博教授が「数学教育における有理数以上の数の体系と計算の方式」のテーマで掲載。千賀教授は一般教育の数学、統計を担当しました。人文科学系では長谷川三津郎助教授の「英語の文に関する統計的観察」、中西達治講師の「北野通夜物語ノート~太平記の思想的背景について~」の論文が掲載されました。

商業デザインコース研究科の発足

扇形校舎での制作実習を指導する岡本講師

 商業デザインコースには、コース1期生(3回生)たちが卒業した1969(昭和44)年5月から「研究科」が開設されました。主任教員だった岡本滋夫講師は、「デザイナーとしての力量を養うには短大での2年間だけでは足りない。もう1年、制作に専念できる環境が必要」という考えで、研究科の必要性を訴えました。

 1期生として卒業した約90人のうち約20人が研究科に進みました。原正さんも研究科に籍を置き、1年間、作品作りに励みました。岡本氏の、「社会に認められる作品を生み出さなければだめ」というスパルタ指導もあって、研究生たちの中からは、グラフィックデザイナーの登竜門とも言われる日宣美展入賞者も相次ぐようになりました。

 東邦短大同窓会「邦友会」が発行した「同窓会名簿」(1997年発行)によると、デザインコース卒業生の中には原さん、服部育晴さんら3回生、小谷恭二さん、新家春二さん、山内瞬葉さんら4回生、鈴木勝さん、都築義幸さんら5回生など名古屋でデザイン事務所を開き活躍する卒業生たちが目立ちます。

 制作実習の授業は扇形校舎(現在のB棟)で行われました。窓の外は東邦高校硬式野球部グラウンドでした。岡本氏は、苦笑まじりに思い出を語ってくれました。授業中に地震があった時の出来事です。

 「僕は学生たちに、〝早く逃げろ〟と叫んで、ガラス窓を開けて真っ先にグラウンドに逃げた。地震がおさまり、教室に戻りましたが、学生たちは〝自分だけ逃げて〟という目をしていました。〝逃げるのもデザイナーなんだ〟と開き直っちゃいましたよ」。

 愛知県美術館を会場に卒業制作展も開催され、東邦短大の恒例行事として定着していきました。制作展は1989(平成元)年3月の第21回まで続きました。東邦学園広報21号(1988年5月)によると、第20回卒業制作展では225点が発表され入場者は延べ2156人に及びました。

 

短命に終わった「制服」

小津ゼミの制服姿の女子学生(3回生アルバム)

 細井学長が就任した1967年4月からは「制服」が定められました。3回生で女子秘書コース1期生にあたる戸澤操さん(名古屋市北区)によると、女子の制服はグレーのスーツに水玉模様のブラウスでした。男子は学生服かスーツが制服とされ、スーツなら何でもよかったそうです。

 3回生の卒業アルバムを見ると、経営コースの小津講師ゼミの記念写真に中に制服スーツ姿の女子学生たちが並んでいました。戸澤さんは、「スーツは有名なデザイナーがデザインされたと聞きましたが、ボタンが気にいらないとか、秘書コースでは不人気でした。そのうちに、ブラウスもどんどん自分で気に入ったものに変えていく学生が増えていきました」と振り返ります。

 結局、「制服」は3回生卒業とともに終わりをつげました。「50年史」は制服制定について、「時代の趨勢からみていささか唐突の観をまぬがれなかったのである」と記していました。

(法人広報企画課・中村康生) 

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