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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第59回

コラム⑨ 貫いた秘書人生 

2019

更新⽇:2019年7月26日

東邦短大8回生の福井英利子さんに聞く

榊学長に短大、秘書時代の思い出を語る福井さん

 東邦学園短期大学8回生として秘書コースを1974(昭和49)年に卒業し大同特殊鋼株式会社に入社、一貫して秘書室勤務だった福井英利子さんが7月いっぱいで定年退職します。福井さんは7月10日、母校の歴史を引き継いだ愛知東邦大学を訪れ、榊直樹学長に退職のあいさつをしました。榊学長の母で、短大学長でもあった榊文子さん(故人)は福井さんの恩師でもあり、榊学長からねぎらいの言葉を贈られた福井さんは感慨深そうに東邦短大時代と45年の秘書人生を振り返りました。

 

――東邦短大に入学されたのは1972(昭和47)年ですが、秘書コースを選ばれたきっかけを教えてください。

 私は当時の名古屋短大付属高校(現在は桜花学園高校)出身。名古屋短大は保育士養成の伝統校でしたが、母親が「東邦短大に行って、いろんなことを学んだほうが、就職するにしても結婚するにしてもいいのではないか」とアドバイスしてくれました。それで東邦の秘書コースを選びました。

 私が入学したころは女子学生がどんどん増えていました。女子学生のための学生寮が日進市岩崎の私の自宅近くに出来ていました。学生たちがバス停に並んでいて、私は車通学だったので、乗せられる時は乗せてあげていました。それでも商業系コースはまだまだ男子学生が多かったですよ。全国的にも男子学生を受け入れる短大が少ないこともあって東邦短大は貴重な存在だったのでしょう。扇形校舎(現在のB棟)は覚えていますが、ゼミをどの教室で受けたかなど、具体的に記憶をひも解くのは大変です。

就職して初めて知った大同と下出家の縁

「入社して初めて下出家との縁を知りました」(絵は下出義雄初代理事長)

――福井さんが東邦短大の学生だった時、母(榊文子元東邦短大学長)はよく、福井さんの運転する車で、八事の自宅まで送っていただいたと語っていました。

 短大時代は短大周辺に住宅は少なく路上駐車OKの時代でした。帰りに、帰宅途中の文子先生をお見かけした時は、「先生、途中までお送りしましょうか」と声をかけさせていただきました。ご自宅までお送りした時もありましたが、「先生、きょうは一社までですがいいですか」「一社でいいわよ」というやりとりで乗っていただいた時もありました。

 そんな文子先生から、就職先について、「福井さん、あなたなら大同、中電、大成どこでもいいわよ」と言っていただきました。大同を真っ先にあげられたので迷うことなく大同と決めました。それで、大同特殊鋼とともに歩むことになる私の人生が決まりました。

 でも、文子先生のお父様が終戦まで大同の社長を務められた下出義雄さんであり、下出家と大同との深いつながりを知ったのは就職してからです。配属された秘書室の年輩の方から「あんたの先生は下出さんのお嬢さんだでなあ」と名古屋弁で教えていただきびっくりしました。

※福井さんからいただいた大同特殊鋼社内誌「ふれあいDAIDO」2019年4月号に掲載された「Attention!~ここにも大同特殊鋼~」というコラム欄に東邦高校のセンバツ優勝のニュースが紹介されていました。コラムでは東邦高校と大同特殊鋼との縁も解説していました。

<東邦高校は、当社の初代社長「下出民義」が1923年に設立した東邦商業学校がルーツです。さらに、民義の長男で東邦商業学校の校長を務め、(財)大同工業教育財団初代理事長としても尽力した「下出義雄」は、当社の4代目社長です。>

 

NHKアクセント辞典も教科書に

短大卒業アルバムの福井さん(左端)

――母は秘書コースを作ったとき、講師陣をどうそろえるかで苦労したようです。企業を回って、総務部や秘書課から社員を派遣してもらい実践的なことを教えてもらうことも考えたようです。

 女優さんや新聞記者の方、中部産業連盟の秘書コンサルタントの方など多彩な顔触れの先生方に教えていただきました。NHKテレビの「中学生日記」にも出演されていた女優の津田弥生先生の授業では、NHKが出している「日本語発音アクセント辞典」を生徒が教科書として一冊ずつ用意していました。津田さんは、名古屋弁の私たちに、恥ずかしくない標準語を教えようと熱心に指導してくださいました。

 津田さんは、正しい姿勢での歩き方も指導してくださいました。「名古屋の女性は歩き方がきたないのよ」とも言われ、私たち学生は頭の上に本を乗せて、モデルさんのように歩かされました。ホテルオークラレストランでのテーブルマナーの授業もありました。今思うと、秘書コースではとても斬新な授業が行われたと思います。

 文子先生は秘書コース全体をマネジメントされていましたが、日本秘書協会から出されている本の記事の紹介もしてくださいました。ある日、いつも持ち歩いている大きなバッグを、「まだ日本では売っていないけれど、これが秘書用バッグなのよ」と見せてくれたことがありました。中にはいろんな物が入っていました。当時の文子先生は学園理事でもありましたから、理事会資料とか授業資料とか毎日たくさんの資料をバッグに詰め込まれていたのだと思います。

秘書の仕事が人生のすべてに

「私にとって秘書の仕事は人生のすべてでした」

――福井さんにとっては秘書の仕事が人生そのものであったのでは。

  私にとっては全てだったかも知れません。大同特殊鋼秘書室では7人の社長につきました。名古屋はどちらかと言えば古くからの習慣を重んじる土地柄ですが、大同のような〝鉄屋〟は特にそうなんです。これからはどうなるかは分かりませんが、私は女性が配置換えになることはまずない時代に仕事をしてきました。秘書は特にそうかも知れませんが、ベテランがいる方がいいのかも知れません。

 ただ、秘書の世界も長い間、男性中心の社会でした。入社して11年目のころ、東邦短大の島本みどり先生に声をかけられ、「秘書教育NEWS」という冊子の座談会に出させていただきました。退職を前にいろいろ整理していましたら、ちょうどその冊子が出てきて、そのことについての私の発言が載っていました。(1985年4月発行の15号より抜粋)

 <私の会社は製造業ですので、やはり秘書室の中では男性に比べて女性の地位が低いという感じは正直いってあります。誠意をもって仕事をしていても、重要なことになると男性に頼むことがよくあります。私のように長く働いていても同じです。例えば電話がかかってきて、「〇〇の秘書をしております」と言って受けても、「男性に代わってください」と言われるんです。そんな時は本当にがっかりしますね。国際婦人年などと言ってもまだまだだなという感じです(笑)。やはり男社会ですね>

女性秘書と日々の研磨

大同特殊鋼の社内誌に掲載された東邦センバツ優勝のニュース

――昨年7月に、中部生産性本部が実施した「2018年度秘書・総務研修セミナー」では福井さんも講師を務められました。

 入社1、2年目の社員たちに心構えを語りました。女性秘書に求められるのは、人間性であり、判断力、優しさであり、男性では分からない気配り、柔軟な対応力、人間的な温かさだと思います。こうしたことは日々の積み重ねによって培われるのだということを述べました。その時のメモも残っていました。

 「優れた秘書となるための心構え」として基本的な9項目をあげました。1.秘書も組織の一員である。2.秘書は主役ではなく常に役員の陰の存在である。3.常に健康で明るく、真心を持って接することを心がける。4.知識よりも実践で会得せよ。5.常に省みて、創意と工夫を怠ってはならない。6.知り得た事項を絶対に他言してはならない。7.仕事は正確に迅速に。8.常に自分を高めるよう努力する。9.常に自分に謙虚であること。

 さらに、「具体的に心がけるべき点」として5項目を挙げました。1.必ずメモを取る。2.疑問がよぎった時は、面倒がらずにもう一度確認する。3.嘘をついてはいけない。4.役員の健康管理に注意する。5.役員の時間管理に配慮と工夫を――という内容です。

 会社を取り巻く環境は私の勤務した45年間で大きく変わりました。経営を取り巻く環境はより厳しいものになっています。どの企業でも経営の在り方が真剣に見直されてきています。当然、組織の中で働く職業人に対しても、これまでとは異なる人間観や専門能力が求められるようになってきました。

 しかし、私は、秘書あくまで「陰の黒子」であり、縁の下の力持ちだと思っています。男性では分からない気配り、柔軟な対応力、人間的な温かさが求められているのです。

女性秘書が上役の行動と問題意識を把握したり、何を考えているかをつかむことは難しいことですが、指示されてするより、報告の形を取れる女性秘書であるべきだと思っています。女性秘書は日々の研磨です。

 

 福井英利子(ふくいえりこ)さん

 大同特殊鋼株式会社(名古屋市東区東桜)秘書室主任部員(課長)。東邦学園短期大学秘書コースを卒業し1974年4月に大同特殊鋼に入社。秘書室に所属し、2019年7月まで7人の社長の秘書に従事。秘書人生45年でした。

法人広報企画課・中村康生 

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