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寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第61回

嵐の中のトップ交代 

1970

更新⽇:2019年8月28日

細井学長の降板

東邦短大5回生卒業アルバムの嶋田理事長(左)と岩井学長

 東邦短大では1969(昭和44)年9月末から10月に起きた学生たちによるバリケード封鎖をめぐる混乱の中、健康に不安のあった細井次郎学長は学生たちと向き合うことなく静養を余儀なくされました。72歳の細井学長は南山大学時代の60歳ごろから緑内障を患っており遭遇した嵐に立ち向かうことはできませんでした。

 細井学長は11月13日に辞意を表明。12月4日には教授会に運営委員会が発足し、対外的に教授会を代表する役割は大浜晧教授が学長代行として担い、細井学長は1970(昭和45)年3月末で退職しました。後任の学長選びは難航を続けましたが、同年6月1日付で、奈良県立短期大学(現在の奈良県立大学)の元学長である岩井良太郎氏が第3代学長に就任しました。

 岩井氏は東京商科大学(現在の一橋大学)卒。1926(大正15)年に東京日日新聞社(現在の毎日新聞社)に入社。エコノミスト編集長、論説委員等を経て1957(昭和32)年に定年退職。「戦争と財閥」「三井・三菱物語」など多数の著書や論文があり、1961(昭和36)年から1969(昭和44)年までの8年間、奈良県立短大学長に迎えられました。

 岩井氏はすでに埼玉県浦和市(現在のさいたま市)の自宅で引退生活を送っていました。東邦学園「50年史」の「回想編」で岩井氏は、名古屋市八事にあった嶋田健吉理事長宅で、嶋田理事長と大浜教授から学長就任を求められたことを紹介しています。いったんは辞退したものの2、3日後、教授会の意を受けた大浜教授から、再考を促すために浦和を訪れたいとの電話を受け、観念して受諾を決めたと書き残しています。

 「回想編」で岩井氏は、奈良県立短大も東邦短大も商業科で学生定員が300人、専任教員も東邦短大が2、3人多い程度で、公立と私立の違いはあれ、ほぼ同じ規模の短大だったとも述べています。

実行力のある強い組織を

岩井学長となって初の卒業式(1971年3月)

 細井学長の後任に岩井氏が選ばれたのは岩井氏の経歴もさることながら、岩井氏の妻が嶋田理事長の妻の姉で、嶋田理事長にとって岩井氏は義理の兄という身内であったことが大きかったと思われます。嶋田は学園創立者である下出民義(第2代理事長)の四男ですが、民義の姉・種の婚姻先である嶋田家の養子となっていました。

 学園では、東邦短大創設に意欲を燃やした第3代理事長の下出貞雄の急逝に伴い、1964(昭和39)年10月からは弟の下出保雄が第4代理事長に就任していました。しかし、保雄は父親である下出義雄(初代理事長)が創立した株式会社菱喜商会(現在はエレックヒシキ株式会社)の取締役として経営に関わっており、実務を担う学園専務理事として1967(昭和42)年1月からは嶋田が迎えられました。

 短大は開校したものの定員割れ状態で財政はひっ迫していました。手狭になった名古屋市東区の東邦高校(赤萩校舎)の移転問題、教職員組合の要求も強まる中で、強力で実行力のある法人機構・校務機構の確立が急務となっていました。さらに、全国で学園紛争の嵐が吹き荒れる中、東邦高校でも生徒会活動の過激化が目立っていました。

 こうした状況下、1967年6月からは下出保雄に代わって嶋田が第5代理事長に就任し、高校、短大の困難な学校経営に取り組むことになりました。

高校でも紛争の嵐

授業料値上げ反対で集会を開いた生徒たち(「東邦新聞」70号)

 『大学ランキング』(朝日新聞出版)の編集者としても知られる教育ジャーナリストの小林哲夫氏は著書『高校紛争1969-1970』(中公新書)で全国の高校生たちの〝反乱〟に迫りました。愛知県内では、高校生の政治活動禁を禁止する文部省見解に反対するデモを繰り広げた旭丘高校と東邦高校の「授業料値上げ反対闘争」を紹介しています。

 <68年4月、愛知県の東邦高校では校長が校内放送を通じて授業料を700円値上げすると発表した。5月、生徒会の呼びかけで集会が開かれ、300人が参加した。値上げされれば授業放棄、修学旅行をボイコットすると決議した。学校側は値上げを撤回したが、授業料問題を契機にして「理事会粉砕」「反動教師追放」などと訴えはエスカレートした。東邦高校の近くにある東海高校でも授業料値上げ反対運動が起きている>

 小林氏は同書で「生徒が学費値上げの反対を訴えるのは、公立に比べて負担をかけている親に申し訳ない、家計に影響を与えたくない、という純粋な動機がある。学費に見合う教育を行っているのかという問いかけもあった」と解説しています。

 東邦高校の授業料値上げは4月25日の職員会議で平岡博校長から表明され、5月6日のホームルーム時に校内放送を通じ説明が行われました。これに対し、大半のクラスが反対を決議。5月10日には生徒会の呼びかけによる授業料問題集会が授業後の運動場で開かれ、値上げが行われた場合の「授業放棄」「修学旅行ボイコット」での対応を決議しました。「東邦新聞」70号は「一方的な値上げ額」の見出しを掲げ、値上げの白紙撤回を求めて校庭で集会を開く生徒たちの行動を写真付きトップ記事で掲載しました。

 嶋田理事長は学校、教員組合、PTA、生徒代表で構成する「四者懇談会」を発足させ、「四者懇」の場での解決を図りました。しかし、生徒たち約50人が6月18日午後、テレビ塔前広場で青空集会が開くなど活動は先鋭化していきました。

 

「卒業式粉砕」で封鎖騒ぎも

 1970年2月、東邦高校での「卒業式粉砕」騒ぎを伝える「中日新聞」

 「50年史」編集者はエスカレートする生徒たちの行動について吐露しています。「彼らには『原則的には反対だがやむをえない』といった意識はなく、『絶対反対・阻止』という率直明快な理論構造しかない。それ以外はごまかしであり敗北である。かくして一部生徒の教育不信、教員不信は、校長が、教員が誠心誠意教育を守る努力を行っているそのこととは全く関わりない次元で、身勝手に執拗にいぶり続ける」。

 1970(昭和45)年2月21日に行われた卒業式では、明け方、3人の生徒によって式場が封鎖されました。椅子、机を積み重ねた形ばかりの〝バリケード〟で、式開催には影響ありませんでしたが、始まった式では、送辞・答辞が実行委員会によって承認されていたものから、学校を批判した内容のものにとすり替えられていました。この騒ぎを報道した「中日新聞」によると、差し替えられた「答辞」は、「3年間の教育は受験体制と産業社会に従属する形で自由がなかった。教師は僕らの疑問に答えなかった」という内容でした。記事は「大部分の生徒は整然としていたが一時騒然とした」と伝えています。

 校門前では他校生と見られる30人余のヘルメット集団が「卒業式粉砕」を叫んでデモの隊列を組みました。

 荒れた卒業式前日に発行された生徒会誌『東邦』12号(1970年2月20日)の巻頭ページで理事長の嶋田は生徒たちに呼びかけていました。

 <君達が何事にでも批判出来るのも、過去数年にわたり、先人達の業績を組織的に順序正しく学んだ結果である。また、色々と問題はあるにせよ、現代社会機構のおかげである。君達はこれら文化の継続者であり、且つ一層この社会を発展させる任務を持っているのである。

 といっても誰もが学問一筋に生きよ、という訳ではない。この複雑な社会機構の中にあって、いろいろの分野に専念活躍する人こそ、本当に求められているのである。君達が自分の適性を見出し、好きな道を選び、社会機構の一員とし後世の人々に、より偉大な文化を継承して貰いたい。そこにこそ学校教育の意義を見出すことが出来る。そのためにも一層の勉強、スポーツ、クラブ活動に励み、充実した高校生活を悔いなきものにするようにおすすめします>

高校の東山移転を決定

東邦短大での教員時代の思い出を語る中西氏

 嶋田は学園組織の近代化に奔走しました。四者懇の設置と平行して、学園構想検討委会が発足。短大教職員組合から出された「千種校地」(赤萩校舎)の3分の2を売却後、学生募集に有利な高校既設校舎への移転を求める案にも耳を傾けながら嶋田は短大のある平和が丘への高校移転を決定しました。

 「東邦学園短期大学」の名前で学内に、「高校の東山移転について」の告示が張り出されたのは1970(昭和45)年5月16日でした。

 「すでに一部新聞報道されたように、このたび本学園では、高校の教育環境の改善と学園財政の健全化をめざして、千種校地を処分して、高校が当東山校地に移転、短大と併存することになった。高校新校舎は45年7月に起工され、46年3月に完成。46年度から短大、高校併存の運びとなる」

 そして6月8日には、岩井学長が細井学長に代わって、6月1日付で後任学長に発令されたことが告示されました。

 嶋田理事長、細井学長が就任した1967年から岩井学長が退職するまで7年間、東邦短大で講師、助教授を務めた中西達治氏(金城学院大学名誉教授、岐阜県海津市)が、嶋田理事長、岩井学長の思い出を語ってくれました。

 「嶋田さんは数字に厳しい経営者の姿勢だった。嶋田さんによって東邦学園は初めて学校経営の現実的な厳しさを突きつけられたのではないか。岩井学長は新聞人らしいセンスがあり、人の使い方がうまかった。嶋田さんが数字づくめで、煙たい存在でもあった時期に岩井さんが入ってきて、ほっとした人も多かったのでは」

法人広報企画課・中村康生 

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