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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第63回

コラム⑩ 現れた東邦保育園卒園生 

1958

更新⽇:2019年10月10日

第8回卒園生

アルバムを手に思い出を語る安井さん(10月7日)

 「学園史の参考にしてください」――。1950(昭和25)年から1959(同34)年まで名古屋市東区の東邦高校赤萩校舎内に開園していた東邦保育園の第8回卒園生が61年前の「卒園アルバム」を持ち込んでくれました。卒園生は安井一行さん(68)(犬山市)。東邦高校の21回卒業生(1970年卒)でもあり、愛知東邦大学硬式野球部の横道政男監督らと同級生です。

 安井さんは1956(昭和31)年4月に入園、2年保育コースで1958(同33)年3月に6歳で卒園しました。10月7日、愛知東邦大学を訪れた安井さんは、榊直樹理事長にアルバムを見せながら思い出を語りました。

 アルバムはA4版より一回り小さい横長サイズで21ページ。紺色の厚紙表紙には、左上に「おもいで」、右下に「東邦保育園」と金色で印字されています。保母の先生たちが心を込めて書き綴ったガリ版刷りの文章が続いていました。

 1ページ目は東邦学園初代理事長である下出義雄の夫人貞子さんの「おいわいのことば」です。「とうほうほいくえん しもいでさだこ」と役職名は書かれていませんが、園児や職員たちからは「園長先生」と呼ばれ慕われていました。

 <4月からは小学生です。明るく、たのしく、しっかり勉強して、お父さん、お母さんに負けない人になってください。そうしたら、〝日本のくに〟も、皆さんが大人になるころには、きっと、もっともっとりっぱなくにになることでしょう>

 1958年は巨人に入団した長嶋茂雄が、開幕戦で国鉄・金田正一に4打席4三振デビューした年。洗濯機、テレビ、冷蔵庫の家電が〝三種の神器〟ともてはやされ、日本が高度成長期に向かっていた時代でした。

 

ひだまりの園舎で

安井さんが描いた砂場やブランコのあった新園舎の遊び場

 2ページからは、保母さんや職員の寄せ書き、卒園までの出来事の一覧、知多での臨海保育、東区の保育園合同での犬山遊園地への遠足、運動会など行事の思い出が書かれています。カットの絵は園児たちの作品です。園児が覚えたばかりの字で書いた自分の名前と顔の絵もあります。

 東邦高校では安井さんが入園した翌年の1957(昭和32)年4月、最初の鉄筋校舎として4階建ての1号館が完成しました。木造校舎からコンクリート校舎へ、施設の近代化が始まっていました。

 同年7月、国鉄(現在のJR)中央線に近い校舎にあった東邦保育園は、1号館建設のために解体された建材を使い、桜通り近くに移転しました。運動場は狭くなりましたが、高校生たちのボールが飛んでくる心配はなくなりました。

 安井さんによると新しい園舎に移ってからの園児は少なく、2クラスで40人ほどだったそうです。「おもいで」の卒園者名簿には39人の名前があります。安井さんを始め、東区車道を中心に保育園に近い住所が目立ちます。

 新園舎の思い出を描いた安井さんの絵も掲載されていました。園児の目線で紹介された「たのしかった、ほいくえん」という文章が添えられています。

 <汽車の見えるほいくえんとさよならして、桜通りの見える新しい園舎で遊びました。前より少しせまくなったけれど、ブランコ、てつぼう、ジャングル、滑り台。かまぼこ型の砂場は冬でも、よくひがあたってきもちよく、こんこ遊びなど、おしりをつき合わせて、おおぜい入ってお山をつくったり、おすもうしたり、よくあばれてうれしかった>

大男にまじっての運動会

保育園児も参加した東邦学園運動会(東邦新聞26号より)

 園児の描いた絵をもとにした東邦高校との合同運動会の思い出のページもありました。

 <10月31日、とうほうのおにいちゃんと、ほいくえんの、ごうどうのうんどうかいでした。ゆうぎをしたり、たまいれ、つなひきもありました。かけっこもしてごほうびをもらいました>

 「東邦新聞」26号(11月4日)にもこの運動会の記事が掲載されていました。「高3による食欲の秋は、初めて行われたうどん早食い競争で、大盛りをなんと1分以内で平らげて観覧席から拍手と共に驚歓の声が発せられた」という記事は保育園児たちの活躍も紹介していました。「大男に混じって保育園児による遊戯、球入れもなかなかの色ぞえであった」と高校生記者は書き込んでいます。

 榊理事長は安井さんに、「保育園児から見た東邦高校のお兄ちゃんたちはどんな様子でしたか」と質問。安井さんは、「園児たちが少々いたずらしても、笑って見守ってくれましたよ。最近の高校生がどうかは分かりませんが、奥が深いというか包容力があった感じがしますねえ」と笑顔で振り返りました。

担任だったみさお先生

安井さんの担任だった近藤みさお先生と園児たち

 安井さんたち「ひまわり組」の担任は近藤みさお先生でした。「おもいで」には、園児たちがグループごとに撮った写真も張り付けられているページもありました。玄関前で、砂場で、大きな滑り台の上で、大好きなジャングルジムで。どの写真も近藤先生と一緒の園児たちの姿がありました。ただ、何枚かの写真は剥がれており、安井さんも写っているはずの鉄棒に乗るグループの写真はありませんでした。

 卒園児一人ひとりに担任の先生が、園児の思い出を書き綴っているページもありました。ガリ版刷りのタイトル「ほいくえんでのあなたのようす」に続く空白部分に、インク文字が書き込まれています。近藤先生も、「やすいかずゆきくん」あてにペンを走らせていました。「2ねんかん、よくかよったほいくえんともさよならして、いよいよ1年生ですネ――」。

 この連載第38回「東邦保育園の歓声が聞こえた」でも紹介しましたが、東邦保育園運営の実務を担ったのは主事(園長代理)の佐藤宗夫氏でした。佐藤氏と近藤さんは、1953(昭和28)年1月に職場結婚しています。近藤さんはすでに「佐藤操」となっていましたが、「おもいで」では、「近藤みさお」を通していました。

東邦高校センバツ優勝に寄せられた投書

東邦保育園の話が弾んだ榊理事長と安井さん

 東邦高校は2019年春のセンバツで優勝し、平成最初に続いて平成最後も優勝で飾りました。4月19日「中日新聞」の「くらしの作文」といコーナーに、「東邦高校の優勝に思う」という投書が掲載されました。佐藤宗夫さん、操さん夫妻の長女小野洋子さん(62)からの投稿でした。

 <今から65年ほど前、私の両親は東邦学園が経営する東邦保育園に勤めていて、それが縁で二人は結婚。私と弟が生まれた。そして両親は、自分たちの理想の保育園をつくろうと仕事に熱中し、私たち子どもの世話は父方の祖母に任せっきりだった。

 そんな父に関する唯一の思い出は、東邦高校が甲子園に出場するたびに言っていた言葉だ。「仕事が暇になったら、東邦の応援に甲子園に連れてってやる」。何度もそのチャンスはあったはずなのに、そのたびに「今度な、仕事が暇になったらな」と。

 ついに一度も連れていってもらうことなく、父は8年前に亡くなってしまった。こんな経緯から、私は東邦高校優勝のニュースを聞いて、すぐに父の顔が頭に浮かんだ。「お父さん、平成は東邦の優勝で始まり、東邦の優勝で終わりましたよ」と、天国の父に伝えたい>(抜粋)

 榊理事長が、手帳の中にしのばせていた記事の切り抜きをコピーして安井さんに渡しました。翌日、安井さんは電話で、「自宅で何度も記事を読み返しました。みさお先生のお子さんが書かれたんですねえ」と感無量の様子でした。

法人広報企画課・中村康生 

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