検 索

寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第64回

さらば赤萩

1971

更新⽇:2019年10月16日

短大・高校統合キャンパスへ

東山移転計画の紹介リーフレット(1970年5月)

 東邦高校(東区赤萩町)では、東邦短大が開校している千種区猪高町(現在の名東区平和が丘)に移転する計画案が1970(昭和45)年5月1日のHRの時間に、放送を通じて平岡博校長から全校生徒に発表されました。5月12日の開校記念日には、生徒全員に新校舎の完成予想図入りのカラー刷りリーフレットが配られました。

 1971(昭和46)年4月からは「平和が丘台地」とも呼ばれた地に、東邦短大と東邦高校からなる東邦学園の統合キャンパスが誕生することになりました。 リーフレットは「学園拡充・高校移転計画」のあらましを以下のように説明しています。

 <創立50周年(昭和47年)を目前に、本年度より数次にわたる学園の拡充計画が決定しました。昭和45年度中に第一の計画として、高等学校を東山グラウンド敷地内に校舎を建設して移転させます。

 昭和44年度中に、かねて東山グラウンド周辺で進行していた広大な住宅地造成工事が終了し、名古屋市は東山総合公園再開発計画を立て、平和公園の整備に着手、本校グラウンドの近辺の道路、交通、環境は一変してきました。今回の本学園の計画は、このような変化に相応し、自然に恵まれた環境の中に、近代的な施設を誇る学園を建設しようとするものです。移転は校舎建設が完了する来年3月に実施し、昭和46年4月より新校舎を使用します>

 猪高地区の土地区画整理は1962(昭和37)年からスタート。〝猪子石砂漠〟とも言われた丘陵地でブルドーザーがうなりを上げ続けていました。

リーフレットに紹介された新校舎所在地は「千種区猪高町大字猪子石字栂廻間(とばさま)34番地」。字名の「栂(つが)」は、マツ科常緑高木。ツガの木の自生する谷間であったことに由来しているのでしょう。

都市公害から逃れて

立体交差が完成した中央線沿いの赤萩校舎(1965年ごろ)

 リーフレットでは赤萩校地から東山校地への移転の意義を述べています。

 東邦高校は、1923(大正12)年に旧制東邦商業学校として創立。戦後、新制高校となり全校生徒が2千数百人の規模に発展しました。1957(昭和32)年以来、数次の建設により鉄筋校舎となり、1958(同33)年には東山グラウンドを開設、1965(同40)年には同じ敷地に東邦短大が開設されました。

 一方、千種駅に隣接し、「交通が便利な学校」として一般市民から親しまれてきた赤萩校舎での教育は、都市生活の近代化につれ、急速に都市公害の影響を受けるようになりました。

 <地下鉄と高速道路の建設により、運動場は従来の約3分の1に減少して、自動車の騒音と排気に包まれ、中央線の列車の騒音も加え、市街地の中の校地は、過密都市の渦中に埋もれています。人間性を陶冶すべき環境を作り上げるべく、都市公害から逃れて自然の空気に包まれる地域への移転が必要になってきました>

 リーフレットではさらに、冬期の暖房施設がない、体育館に全校生徒を収容できない、特別教室や照明の改善など赤萩校舎の教育環境の改善が急務であることを指摘。根本的な改善には現施設の構造では不可能な状態になっていること、学園財政は、数年来の授業料値上げに依存せざるを得ない状況に追い込まれていたことも説明し、東山移転を決断するに至った理事会(嶋田健吉理事長)の立場を述べています。

 <昭和43年度の9~3月、44年度の7~12月の期間中、理事会と教職員の代表よりなる学園将来計画検討委員会が設置され、教育計画、教育施設、財政、募集等の各分野別に研究、検討が行われました。この検討の結論は、逐次全教職員に報告され、最終的結論は昭和45年1月に方向が定まり、この後、計画遂行の資金源となる現赤萩の校地、および校舎の売却の折衝が行われましたが、45年3月末にいたって、資金的に見合う条件を提示する折衝相手が確定しました。45年4月、理事会は、将来計画として高校の東山移転を骨子とする内容を以上の経過とともに審議した結果、実施を決定しました>

  『名古屋の街~戦災復興の記録』(伊藤徳男、中日新聞本社)に、「立体交差が完成したJR中央線」という千種駅上空から撮影した1965(昭和40)年ごろの写真が掲載されています。東西に走る道路は下から広小路通、錦通、桜通。錦通と桜通の間に東邦高校が写っています。地下鉄東山線と錦通が一体的に整備されたことで、校庭が3分の1に削られた様子が分かります。東邦高校の移転跡地には現在、住友生命千種ニュータワービルがそびえています。写真にはJR千種駅前のロータリー、その下には河合塾の看板も見えます。

 

巣立った1万6000人

「赤萩最後の卒業式」を伝える「東邦新聞」80号(1971年2月20日)

 移転を目前に控えた1971年2月に発行された生徒会誌『赤萩』13号では、1970年7月に、平岡校長からバトンを引き継いだ浅井(旧姓林)静男校長が、「赤萩を去るに当たって」の思いを書いていました。浅井校長は東邦商業15回生。日米開戦の1941(昭和16)年12月に繰り上げ卒業。東京物理学校(現在の東京理解大学)を経て、戦後は母校教員として生徒たちとともに赤萩時代を歩み続けました。

 <1923年、まだ水田の散在するちくさの一角に、本学園が創設されてより47年、移りゆく環境の変化と共に、校庭せましとボールを追ったり、時には覚王山、猫ヶ洞の山野を、うさぎ狩りに息をはずませたこともあったり、はたまた口から泡を飛ばして世相を論じたりしながらの半世紀で1万6000余名の卒業生を送り出すことになりました。

 創立時の苦心、少人数で、本当に親子以上の教育愛のみを唯一の武器としての揺籃時代から、戦時中、学徒動員に加えて商業学校生徒の募集停止(この間は大同工業と連携)から終戦を迎え、寒風と共に粉雪の舞う窓枠すらない教室で再発足した東邦中学の再建時代を第二の難関と致しますと、今度の平和が丘台地への移転は飛躍的な発展と言うことが出来ます――>(抜粋)

 浅井校長は寄稿の最後に、「歴史の一端を知ってもらう参考に」と、年次別卒業生の表を掲げました。

  東邦商業学校卒業生 3837人

  東邦中学校卒業生(東邦高校に進学せず中学のみで卒業) 223人

  東邦高校卒業生(1971年まで) 商業科7468人、普通科4611人

  総計 1万6139人

さらば赤萩の学び舎

手前にツガの木らしい常緑樹も見える東邦高校の新校舎

 『東邦』13号には「さらば赤萩」という特集ページも設けられ、教員たちがそれぞれ赤萩の思い出を投稿しています。「東邦俳句会」の教員たちも惜別の句を寄せました。

 

渡辺泰造

 登校の子ら声高に息白く

 教卓に菊生けてある授業かな

和田悟

 残りたる木造館の冬日かな

 舞う雪や母校の庭の小さかり

小林知生

 赤萩の校舎に鳩の日向ぼこ

 凧小さく天にとどまり平和墓地

 赤萩に生き続けいよ寒椿

大西一郎

 鉛筆をけずり採点夜長く

 梅雨暗く職員会議長びけり

萩野幸枝

 赤萩の壁画よさらば春寒く

 大寒や句会に惜しむ赤萩の地

 赤萩の学び舎さらば春惜しむ

 

東郷グラウンドの開設

東郷グラウンドでノックする阪口監督(1994年発行の野球部史より)

 東邦高校が赤萩に別れを告げた1971年3月、硬式野球部は第43回センバツ甲子園に通算14回目出場を果たしました。夏の甲子園にも1969年の第51回大会、1970年の第52回大会、1971年の第53回大会に連続出場しました。移転した1971年は春夏連続出場となりました。

 移転先となった東山グラウンドは硬式野球部の練習拠点であったため、学園側は新たに東郷町諸輪の愛知池に面した山林用地を確保し、東郷グラウンドを開設しました。1970年8月に買収契約、1971年2月に着工、5月末に完成しましたが、この間、硬式野球部は練習場を求めての放浪が続きました。

 元中日ドラゴンズ投手、ピッチングコーチの水谷啓昭さん(23回生)は、1969年に入学した1年生の時から春夏4回の甲子園を体験しました。3年生だった1971年にはエースとして春、夏甲子園のマウンドに立ちました。水谷さんは練習場を失った時の苦境を野球部史に書き残していました。

 <校舎の移転に伴い、今の東郷グラウンドを新しく造成することになって練習場がなくなりました。名古屋学院大のグラウンド、東邦ガスのグラウンド、日通のグラウンドなどを借用してのジプシー生活を3年生夏の愛知大会予選直前まで余儀なくされました。

 昭和46年に待望の新しいホームグラウンドが完成して、いよいよ喜び勇んでピッチング練習を始めた矢先、土がまだ固まっておらず、柔らかい所に足を取られ、悪い態勢で投げたのが原因で、大事な大会前に肝心の肩を痛めました。目の前が真っ暗になり、先生(阪口慶三監督)からすごい剣幕でどやしつけられました。家に帰る途中、このまま何処かへ行ってしまおうか思ったこともありました。あらゆる治療に挑戦し、どれだけ走ったことか。辛い毎日でした。雨で大会が延期になった時は思わず神に感謝し、黙々と球場の周りを走り続けたこともありました。苦しみながらも3年連続の代表権を勝ち取ることができ、チームメートにも迷惑をかけずに済み、内心ホッとしました>(抜粋)

法人広報企画課・中村康生 

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