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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第68回

コラム⑪ 『私のトルコ日記』

1999

更新⽇:2019年12月2日

東邦短大14回生 千田里美さんからの手紙

トルコ滞在中の千田さん(『私のトルコ日記』表紙より)

 カリフォルニア大学(UC)バークレー校で始まった東邦短大の海外教育研修に、1年生の時に参加した14回生(1973年入学)の千田里美さん(愛知県扶桑町)からいただいたお手紙を紹介します。

 千田さんは『東邦学園短期大学の43年』(2011年)への寄稿で、バークレーでの研修の思い出を書いています。そして、「この体験を機に、私は国際交流に人生の目標を定め、多くの国の人々と関わりを持つことになりました。40歳で単身トルコに渡ってホームステイした体験は、まだ、トルコやイスラムが未知の世界であった多くの日本人に衝撃を与え、出版や講演活動という形で両国の交流に微力ながら貢献することが出来ました」とも書いていました。

 愛知東邦大学図書館に所蔵されていた、千田さんが書いた『私のトルコ日記』(2001年、文芸社)を読ませていただきました。著書は千田さんを応援し続けながら亡くなった父正信さんへの感謝も込め、「まさのぶ里美」のペンネームで書かれていました。1999年11月22日に関西空港を飛び立ち、12月4日に帰国するまでトルコ滞在は12日間だけでしたが、日本語を教えるボランティアの依頼を受けての滞在中の体験記が軽快なタッチで書かれていました。

 お会いしてお話を聞かせもらえればと千田さんに連絡をとったところ、健康上の事情で、難しいとのことで、『私のトルコ日記』出版も含めた思い出を書き留めた手紙を送ってくれました。いただいた手紙の抜粋です。

見るもの聞くもの全てが新鮮だったバークレー

2001年に出版された千田さんの著書

 1か月の研修は見るもの聞くもの全てが新鮮でした。バークレーは学生の街で、カフェやショップも学生向けのものが多く、街中にピザの香りが漂っていました。UCバークレーはとても広く、歴史的建造物のような校舎が立ち並び、時を告げる鐘の音も心地よく、今思えば、まるでテーマパークのような雰囲気でした。教室移動の時に、みんなで立ち寄るアイスクリームショップも楽しみの一つでした。

 I Houseと呼ばれる学生寮は大学のすぐ横にあり、こちらも一流ホテルのように広くて設備も充実しており、ビリヤードルームがあることには驚きました。

 私は街でレコードをたくさん買い集めていたのですが、オーディオルームを見つけてからは、よくそこで一人コンサートを楽しんでいました。また、週末にはダンスパーティーが開催されていました。お酒やスナックが並べられ、いろんな国の人々が楽しんでいる姿は、まるで映画の世界に入り込んだかのようでした。今でこそどれも珍しくはありませんが、40年以上も前の時代ですから、興奮が止まりませんでした。

 当時は芸能人がハワイに行くことが大きな話題になるレベルだったので、アメリカ本土の情報はほとんど入ってこないし、ガイドブックは名古屋の丸善でも2、3種類しか見つけられませんでした。今思えば両親の心配も納得できます。情報がないのは冒険と同じですから。

 「コレクトコールでいいから電話して」と母に言われたので、一度だけI Houseのロビーの公衆電話を使いました。3分3600円ぐらいでした。ホームシックになる仲間が多かったのですが、私は1か月ではとても足りなくて、1年はそこで生活したいと思っていました。

 

膨らんだ国際交流への想い

千田さんを紹介したリーフレットのインタビュー記事

 UCバークレーでの研修に参加する前までは、とにかく違う世界をこの目で見たいと、そればかりでしたが、参加した後は、私自身が国際親善をやってみよう、と考えが変わりました。個人で何ができるのか、それはいつ、どのようにすればいのか、と暗中模索ではありましたが、それに備えて、語学、宗教、社会情勢など様々なことを学びながらチャンスを待っていました。

 そして、それは40歳の時にやってきたのです。(『私のトルコ日記』の前書きには、あるボランティア団体に所属している知り合いの女性から、「あなたにピッタリの話があるのよ!トルコで2週間ホームステイしながら、子どもたちに日本語を教えてほしいという依頼があるんだけど、どうかしら?」という電話があったと書かれています)

 バークレーでは寮生活でしたが、その後、ホームステイも企画されたことを知り、私も必ずホームステイすることを決めていました。当時、中学生だった息子の後押しもあり、単身トルコでホームステイすることがかない、それがきっかけで国際親善に発展させることができたのです。

 当時、ほとんど情報の入ってこなかったトルコで、私は子どもたちに日本語と英語を教えるボランティアをしました。トルコ語は独学で、日常会話レベルでした。12日間ではありましたが、想像をはるかに超える驚きと感動の連続で、それを一人でも多くの人に伝えたくて本(『私のトルコ日記』)を書きました。

 

相次いだ講演依頼

「滞在先ではVIP待遇でした」という千田さん

 ところが、この出版を機に、思いもよらないチャンスが到来しました。出版は新聞やタウン誌など何社かに取り上げられ記事になりましたが、まず、それを見た地元の図書館から講演依頼が来ました。次に、その講演を聴かれた人によって、ある私立高校のPTA総会の講演に推薦され、高校の依頼により講演をしました。

 すると、そこから私立の学校をまとめる組織の目に留り(当時は父母懇談会と呼ばれていました)、あちこちで講演や年に一度の大きなイベントであるサマーセミナーの授業も依頼されました。

 全ての依頼を引き受けて、さらに座談会なども含めると20回以上、トルコについて語り続けていました。その功績が認められて、東京のトルコ大使館から、お礼の電話とトルコの写真集など贈り物が届きました。とても驚きましたが、このような形で国際親善が出来たことが心から嬉しかったです。

夢はあきらめなければ必ずかなう

タウン紙で紹介された千田さん(「尾北ホームニュース」より)

 バークレーから帰国して決意したことが、ようやく一つ達成できたのです。バークレーに行かなければ今の私はありませんでした。あの1か月間の貴重な体験が、私の人生や生き方、考え方にとても大きく関わっていたのだと、還暦の今、あらためて思います。「夢はあきらめなければ必ずかなう」というテーマで、いつも講演をしていましたが、そのきっかけになったことこそがバークレー海外研修の意義であると言えるでしょう。

 東邦短大を選んで本当に良かったと思います。最後に、この原稿を書いている間、懐かしいことがあれこれ思い出され、とても幸せな気持ちになれました。このような機会を与えていただいたことに心から感謝しいたします。ありがとうございました。

2019年10月27日 千田里美

    ×    ×    ×

 千田さんが『私のトルコ日記』を書きあげたきっかけを、タウン紙「尾北ホームニュース」18号(2001年9月26日)が紹介していました。

 <「トルコで感じたカルチャーショックは覚悟していた以上のもので、10分ごとに驚いて、20分ごとに感動するみたいな――。トルコの人たちの素直で温かい、パワフルでストレスのない世界に包まれていました」という千田さん。帰国後、千田さんは友人に話して回ったが、話し切れないので書くことにした。「笑いを誘うような出来事ばかりだけれど、誤解の多いイスラムの生活様式や、日本とはあまりにも違う教育や親子の接し方を知ってほしい。何よりも夢は持ち続ければ必ずかなうことを伝えたい」と。3か月ほどで書き上げたものを、気に入ってくれた友人たちの声援を受けて出版することにした>

法人広報企画課・中村康生 

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