検 索

寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第74回

TMCCからの発信

1996

更新⽇:2020年3月10日

女性自立と地域活動を支援

受講生用に作成されたTMCCの案内パンフレット

 東邦短大が開学30周年を迎えた1995(平成7)年は、1月に6300人が犠牲となった阪神・淡路大地震が発生、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きるなど、社会的にも激震が続いた騒然とした年明けとなりました。30年間で女性を中心に1万人を超す卒業生を送り出していた東邦短大が30周年記念事業として打ち出したのは、「女性の自立」と「地域活動」の支援を基本に据えた「東邦学園名東コミュニティ・カレッジ」(略称TMCC、東邦コミュニティ・カレッジ)の開講でした。

 TMCCは1996(平成8)年度からスタートしました。受講生募集の案内書で島津康男学長は「東邦短大は名東区唯一の大学として、地域に密着した大学になりたいという思いがあります」「方々にあるカルチャーセンターとは一線を画し、やる気のある方を応援するため、具体的、実際的なテーマをそろえおります」と胸を張りました。

 NHKディレクターだった津田正夫氏は、島津学長を先頭にTMCCの方向性をめぐる論議が続いていた1995年、東邦短大に教授として転身しました。日夜続けられた議論で津田氏が思い出したのは、NHKでの番組制作時代に転換期の労働運動を取材中に、労働団体幹部が語る「これからは、〝女と緑の時代〟」という言葉でした。「もはや、イデオロギーでぶつかる時代ではない。女性の権利や自立、ジェンダー、そして環境に真っ向から向き合わなければ」というのが、その著名幹部の主張でした。

 <TMCCの方向性をめぐる議論で、東邦がめざしているのは「女と緑の大学」だと思いました。「地球社会に生きる」「コミュニティに生きる」というコピーもとても新鮮でした>と津田氏は振り返ります。

原点となった「東邦女性学」

案内パンフに掲載された戒能教授のあいさつコメント

 TMCCは「女性の自立支援」と「地域活動支援」の2コースでスタートしました。託児サービス付きで、前期(5~6月)、後期(10~11月)の開講で、前期は女性自立支援コースが「私が一歩踏みだすとき」、地域活動支援コースが「インターネットを使おう」の計2講座。後期は女性自立支援コースが「女性のための再就職応援講座」「小さな会社を作ろう」、地域活動支援コースが「インターネットを使おう」「市民からの環境アセスメント」の計4講座が開講されました。

 TMCCで「女性自立」が基本に据えられたのは、戒能民江教授を中心とした東邦短大の「女性学」が注目されていた背景がありました。1979年からの非常勤講師時代を経て1991年に助教授に就任した戒能氏を中心に、東邦短大では「女性学」の授業が活発に展開されました。

 1993年発刊の「学園70年史」に掲載された助教授時代の戒能氏の寄稿です。(抜粋)

 <本学では現在、一般教育の総合科目として「女性を考える」、専門科目として経営情報科に「女性論」、商経科秘書専攻に「現代社会と女性」「ことばと女性」「女性史」と五つの「女性学」関連科目が置かれ、演習でも複数の「女性学ゼミ」が開かれています。東邦学園ならではの、自由な雰囲気と、異なるものを受け入れて自らの変革のエネルギーにしていく進取の精神が「東邦女性学」を育ててきたのではないかと自負しています。

 「東邦女性学」の第一歩となった「女性を考える」が始まったのは1989年の後期から。原昭午、坂田千鶴子、安田尚道の各先生と戒能に、学外から大脇雅子弁護士を迎えて、オムニバス方式で学祭的なアプローチを試みました。受講者も教室からあふれんばかりの大盛況。1991年度からは前後期リピート開講に変え、学内からは山極完治、長南仁の両先生が参加され、学外ゲストには卒業生や男性も加えて充実を図っていきました>

 「女性自立支援コース」では戒能教授のほか山極完治教授(企業論)ら男性教員たちも「小さな会社をつくろう」(「ウィルあいち」と連携)の講師に加わりました。戒能教授をセンター長にTMCC開講と同時に開設された「女性自立支援センター」では専門相談員による「女性のためのひとりだち電話相談」が月1回行われ、大きな反響を呼びました。

 

島津学長も「環境アセスメント講座」を担当

 島津学長も後期講座「市民からの環境アセスメント」を自ら担当しました。受講者たちに地域の環境診断マップを作成してもらい、住民監視の役割を考えながら、環境アセスメントを読み解くノウハウを学んでもらおうという講座でした。受講した環境行政担当の公務員、環境問題に取り組む市民らに、「地域診断のプロになろう」のテーマで土曜日6回の講座が開かれました。

 津田氏も講師を務めましたが、「島津学長の強いリーダーシップを痛感しました。島津学長からは、何かを開発するのに環境評価は常識という考えとともに、大学や短大が地域に開かれたコミュニティカレッジを開くのは世界的にも常識であり、グローバルスタンダードなのだという信念を感じました」と言います。

 

先駆的な電子メールやウェブ活用も指導

 「インターネットを使おう」の講座では前期のホームページ作成に続き、成田良一教授のほか教員4人が電子メールの作成や活用を指導しました。成田氏は、「めざしたのは現在の〝東邦プロジェクト〟の社会人版・遠隔版というものでした」と振り返ります。

 <単に Web ページや電子メールの使い方を身につけるのではなく、その先にある「活用」の部分がカナメでした。インターネットが個人の生活に浸透していくのはもっと後の話ですが、我々インターネット関係者は、既にそのような使い方を始めていました。そこで講座では、メーリングリストを活用して、実際に対面して話し合わなくてもプロジェクトを進めていけるという、インターネットの、当時としては先進的な使い方をやろうとしました。Web ページの方は、プロジェクトとして取り組んだ課題の成果を、形としてまとめるためのものです。講師の先生たちには、「それぞれのテーマを提示して、参加者のグループのメーリングリストで議論を支える」ということでお願いしました。夜中になると多くのメールが飛び交い、活発な議論が進み新しいコミュニケーションの場を形成できたことに喜びをおぼえました>

 

 授業も市民に開放

 TMCCスタートに合わせ、それまでも一部で行われていた学生への授業の一般市民への開放も本格的に行われました。修了受講生には「科目等履修生」の制度により単位が認定されました。

 1996年度の開放授業は8講座でしたが、1997年度は18講座に拡大されました。案内パンフで紹介された開放授業と担当教員です。

 【基礎課程】地球と市民(原昭午)▽市場経済のしくみ(中山孝男)▽地球環境と生物の進化(高木靖彦)【経営情報科】金融環境論(津田正夫)▽労務管理論(長南仁)▽生産管理論(小野隆生)▽事務・文書管理(杉谷正次)▽金融論(山極完治)

 【商経科秘書専攻】現代メディア論(津田正夫)【商経科商業実務専攻】経営実務概論(加古進)▽経済原論(中山孝男)▽コンピューター演習2(西村弘之)▽所得税法(小津昭司)▽法人税法(小津昭司)▽会計監査論(後千代)▽民法(戒能民江)▽マスコミ論(石田隆)▽CI論1(石田隆)

 

 

メディアを通し続々発信

TMCC計画を報じた読売新聞(左)と朝日新聞(右)

 TMCCの活動や、担当教員たちの活動はメディアを通して続々と発信されました。1995年~1998年に新聞各紙に掲載された記事の一部(要旨)です。

 <地域社会人に門戸 コミュニティカレッジ構想 来年5月開講 起業講座やインターネット> 読売新聞(1995年12月12日)はTMCCの内容、開設準備の様子を写真付きで紹介。島津学長は「地域に開かれた大学、特に女性の自立は時代の要請。大学にとっては生き残りの策でもある」とコメントしています。

 <女性の自立を手助けします 新年度 支援センター設立> 朝日新聞(1995年12月12日)もTMCC開講と同時に、「ひとり立ち」のための電話相談を中心にした自立支援センターの新設を紹介。全国の大学、短大で初の試みで、「短大から地域大学」を掲げ、生き残り作戦の第一歩にするという東邦短大の決意を紹介しました。

 <女性の自立相談 電話鳴りっぱなし> 朝日新聞(1996年5月11日)は自立支援センター最初の相談電話対応の様子を紹介。「離婚する夫の借金は?」「財産分与の方法教えて」など最も多かったのが離婚をめぐる問題でした。相談にあたった戒能教授は「離婚したくても、その日から住む所がないなど問題は深刻。問題解決のために行政機関にも働きかけていきたい」と語りました。

 <女性、起業へ盛り上がる 養成講座や電話相談も> 日本経済新聞(1996年7月29日)は中部地方の女性の起業志向の高まりを取り上げる中で、東邦短大とあいち女性総合センターが共同で9月から女性起業家養成講座をスタートさせると紹介しました。

 <環境アセス 市民の側から鋭い指摘> 中日新聞(1996年11月17日)は岐阜県御嵩町の産業廃棄物処理施設問題など、環境保護と開発の間で揺れる地域が多い中で、TMCCでの全国初となった市民対象の環境影響評価(アセスメント)入門講座が最終回を迎えたと紹介。受講者の「開発か、自然保護かでは、これまで議論が感情的なものになりがちだった。アセスはきちんと議論する材料となることが分かった」という声、島津学長の「アセスは地域差がある。自分の自治体がどの程度のアセスをしているか調べてほしい」という〝宿題〟も紹介しています。

 <「悩みの電話殺」殺到 相談員養成講座、開設へ> 毎日新聞(1997年1月9日)は1996年5月から毎月10日に開設されている女性自立支援センターの相談電話に毎月24件の相談があり、態勢を充実させるため2月から相談員養成に乗り出すことになったと紹介。

 <大きな山だが、時代の追い風が> 日本経済新聞(1997年12月13日)は「中部ひと未来」欄で、「キャンパス・セクシャル・ハラスメント・全国ネットワーク」の発足に携わり、事務局長を務める戒能教授を紹介しました。

 <メディアに市民参加を 東邦学園短大の津田教授ら問題提起の出版> 読売新聞(1998年9月2日)は、「市民は放送の受け手だけでなく、送り手に回るなどもっとメディアに参加を」と津田教授が「パブリックアクセス~市民がつくるメディア~」という本を出版したことを取り上げました。

 <男性支配社会を考える 東邦学園短大 法女性学 戒能民江教授> 朝日新聞(1998年6月8日)は「研究室から」欄で、「ドメスティック・バイオレンス」(有斐閣選書)や戦後家族の状況をまとめた「家族データブック」(有斐閣)を出版した戒能教授にインタビューしました。

求められた市民や地域の力

案内パンフでの島津学長の開講あいさつ

 TMCCの1996~1997年度の運営委員会委員長は戒能教授が務めました。戒能教授は短大後援会誌「邦苑」19号(1998年3月)でTMCCの2年間を、「幸い、全国的にもユニークな試みとして注目されており、受講生もリピーターが目立ち、市民の学び舎として定着の兆しが出てきた」と振り返っています。

 戒能教授は、「卒業生たちを始め、様々な世代の市民たちが行き交い、学生たちの間をよちよち歩きの子どもたちが通るというキャンパスの風景もなかなか楽しいものだ」という感想も書き残していました。

 津田教授も1998~2000年度の運営委員長を務めました。「邦苑」20号(1999年3月)で「開かれた大学」をめざしたTMCCの3年間を振り返っています。(抜粋)

 <受講者は3年間でおよそ500人にのぼり、短大の1学年分に相当する。起業支援講座を受けて実際に起業した人は12人になる。講座が一定の社会的ニーズを満たして定着してきたのは、市民中心の公正な社会をつくろうという世論の動きや、ボランティア志向という時代の流れがあった。他方で、「市民の地域活動を支援する」というコンセプトが明確であったことが大きな要素だろう>

 「メディア論」「企業環境論」の授業を担当しながらTMCCからのメディア向け発信にも関わった津田氏は2002(平成14)年3月、東邦短大を退職し立命館大学産業社会学部に移りました。立命館大時代は、メディ志望の学生の育成にも務め、現在は自宅のある岐阜市で、市民ラジオ局「てにておラジオ」の活動に関わっています。

 TMCCがそれなりに「時代の要請」に応えられた背景について津田氏は、1995年に阪神・淡路大震災があり、1998年にはNPO法(特定非営利活動促進法)ができて市民活動の法的根拠が与えられたこと、さらには情報公開法が1999年に成立し2001年から施行されたことなどを指摘。「市民や地域の力を借りないと公正な市民社会ができない時代に入ったことも大きかった」と語りました。

駆け足でやってきた短大冬の時代

東邦短大時代の思い出を語った津田氏(岐阜市で)

 「TANSUS」(短大生き残り作戦)の一環として取り組まれたTMCC。島津学長は1995年12月、TMCC準備室長としてまとめたTMCC実施計画で、「コミュニティー・カレッジ=地域大学」としての生き残る決意を強調しています。(抜粋)

 <短大の生き残り作戦として、四大への転換を考えている所が多い。しかし、大都市での新設を禁止している現在の制度があり、名古屋市外に出て行かねばならない。本学ではその代わりに、小規模校の特徴と立地の有利性を生かして、「学生の年齢を上げること」を考えた。これは、社会人教育の積極的導入であり、いわゆる「短期大学(ジュニア・カレッジ)から地域大学(コミュニティ・カレッジ)への転換の第一歩である。最近、大きく叫ばれている生涯教育のニーズに応えるものといってもよい>

 TMCCは、市民に開かれた大学として社会的評価を高めることで、短大生き残りへの活路を切り開こうという挑戦でした。しかしTMCCに対する評価や人気にもかかわらず、危惧した「冬の時代」は予想した以上の駆け足でやってきました。18歳人口の減少に加え、女子受験生たちの四大志向の高まりもあり、全国で短大生は急激に減少に向かいました。文科省学校基本統計によると、短大学生数は1993年に53万294人とピークに達した後、急カーブで減少を続け、2016(平成28)年は12万8460人と23年間で4分の1以下に減りました。短大数もピークだった1996年の598校から2016年には343校に激減しています。

 東邦短大志願者の減少もTMCCがスタートした1996年度以降、右肩下がりに加速していきました。経営情報科の開設で445人の入学定員となっていましたが、1999年度からは入学者がついに定員割れに転じました。2000年度は定員の半分を埋めるのがやっとでした。

 1996(平成8)年度  志願者1788人 入学者553人

 1997(平成9)年度  志願者1437人 入学者481人

 1998(平成10)年度 志願者1230人 入学者476人

 1999(平成11)年度 志願者 963人 入学者389人

 2000(平成12)年度 志願者 600人 入学者228人

法人広報企画課・中村康生 

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