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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第76回

東邦学園大学の開学

2001

更新⽇:2020年4月3日

21世紀初の新設大学

開学した東邦学園大と東邦短大の合同入学式(2001年4月1日)

 愛知東邦大学は2001(平成13)年4月、「東邦学園大学」として開学しました。経営学部地域ビジネス学科(定員200人)としてのスタートで、2007年度に人間学部(現在は人間健康学部)を増設したのを機に愛知東邦大学と校名変更しました。

 21世紀初の大学として誕生したのは東邦学園大を含めて全国で20校。大都市での大学新設を抑制する国の方針が続いていたこともあり、名古屋市名東区の東邦学園大学は市内では久し振りの新設大学となりました。

 初の入学式は4月1日、スチューデントホール体育館で、同じキャンパスの東邦学園短期大学(東邦短大)と合同で行われました。大学1期生となった新入生は297人(男子260人、女子37人)です。

 丸山惠也(よしなり)学長は式辞で、学園創立者である下出民義翁が明治から大正にかけて、名古屋地区で日本の近代産業を興し育てた経済界のリーダーであったことを指摘したうえで、東邦学園大学設立の意義を述べました。

 <かつて民義翁が数々の近代産業を興し実業界で活動された体験から、一番重要なものはそれを担う人間を形成すること、しかもその人間は真に信頼され、仕事を任すことができる人物、このような人材を育成することであると認識されました。本学の設立理念は、真面目な人格者の育成にあります。明晰な頭脳なうえに暖かい心、思いやりの精神が必要です。

 新しい大学は偏差値教育ナンバーワンとなるような学校を目指していません。地域を担う人材育成のうえで、日本で最も特徴のあるオンリーワンの大学を目指します。皆さんは本学の第一期生です。この地で学び、大志を抱いて日本の社会のリーダーを目指してください。皆さんの中から第二第三の民義翁が生まれることを心から期待しております。

 皆さんがいま座っている椅子は、本学の若い職員が、皆さんを暖かく迎えようと、長い時間をかけて一つひとつ並べたものです。この暖かい心を皆さんにお伝えしたい。ともに新しい大学をつくって行こうではありませんか>(2001年6月15日「東邦キャンパス」開学記念特集号掲載より抜粋)

 丸山学長は立教大学経済学部での28年間に及ぶ教育・研究活動を経て2000(平成12)年4月に、東邦学園大学初代学長就任を前提に東邦短大学長に就任していました。

 

「短・四併設」で生き残り

2001年度新設予定大学(1999年10月16日読売新聞)

 合同入学式に臨んだ東邦短大37期生となった新入生は127人。東邦学園大学の開設に伴い、商経科の募集は停止され、経営情報科(定員150人)のみの募集となりましたが、入学者は定員に達しませんでした。女子受験生の短大離れ、4年制大学志向が一段と加速していました。

 東邦高校の1999(平成11)年3月卒業生は、4年制大学に477人、短期大学に218人が合格。女子は初めて4年制大学への進学が短大進学を上回りました。さらに2000(平成12)年3月卒業生は4年制大学合格者460人、短期大学合格者は135人(東邦短大合格者は最多の13人)で、女子の短大離れがさらに顕著になりました。

 進学指導室の福井宏室長は「現役男女生徒の四大への進学率はそれぞれ51%、39%であり、男子は昨年よりやや減少、女子は過去最高値を示した。また、女子生徒の短大進学率は23.5%(昨年度比マイナス9ポイント)と過去最低となった」と分析しています。(「東邦キャンパス」75号)

 東邦短大志願数は1996年度1788人、1997年1437人、1998年1230人、1999人963人、2000年600人と急カーブで右肩下がりを続けました。1997年4月に就任した牟礼(むれ)早苗学長は、「18歳人口が減少傾向で推移するなかで、女子の4年制大学志向が高まるといった短期大学をめぐる状況の変化は著しく、それを踏まえた対応が必須になっている」と改革推進の決意を訴えました。

 東邦学園は1998年3月25日に開かれた理事会・評議員会で、「新しい大学づくり」として、短大に4年制大学を併設して生き残りを図るとする1998年度事業事計画を承認。9月21日には大学設置準備委員会(委員長・下出保雄理事長)を発足させて、全学的な合意を得ながら構想を具体化させ、文部省への設置申請を図ることとしました。申請は1999年9月に行われました。

 短大の1999年度入学者は389人(定員450人)とついに定員割れに追い込まれました。短大商経科を改変して4年制大学を設置する「短・四併設」での生き残り作戦は待ったなしの状態となりました。

地域を担う人材育成を

新校舎A棟と新入生を迎えた満開の桜(短大37期生アルバム)

 大学設置準備委員会は4年制大学の設置学部を東邦商業学校からの伝統を継承した経営学部とし2001年4月の開学を目指すことを決めました。初代学長には立教大学教授だった丸山氏に就任を要請。2000年度から短大学長に着任してもらい開設準備にあたってもらうことになりました。

 丸山氏は明治大学政学部経済学科卒で専修大学大学院修士課程を修了。東洋大学などを経て1972年から立教大学経済学部に助教授、教授として2000年3月まで在籍。経営学研究者の大半が参加する日本経営学会やアジア経営学会などの理事も務め、学会経験を生かしての専門教員集めも期待されました。

 初代経営学部長に就任したのは日本福祉大学教授だった森靖雄氏です。森氏は母校である愛知大で研究所講師(専任)を務めた後、大阪府立商工経済所研究員を経て日本福祉大学で教壇に立ちました。全国各地から招かれての講演では「日本経済の再生は地域から」と訴えていました。

 大学設置準備委員会では新設.大学のコンセプト、教育プログラム、カリキュラム、施設などについて、短大教員を中心とするワーキングループでの検討が進められました。「新たに創る大学にはどんな学部が望ましいか相談にのってもらえませんか」。牟礼学長から森氏に電話がありました。牟礼学長は大阪市立大学出身で、大阪繊維経済研究所の研究員を経て熊本商科大学、大阪産業大で教鞭をとり、1992(平成4)年から東邦短大教授に就任していました。

 「牟礼先生とは中小企業研究の仲間。1970年代にはともに大阪府政のシンクタンクとしての役割を担った研究員だったこともあり、〝大阪をどうするか〟で悩み合った仲でした」と森氏は振り返ります。設置準備委員会にアドバイザーとして招かれた森氏は「地域を活性化する役割を担う中小企業経営者育成を目指す学部にしてはどうか」と提案しました。

 設立準備委員会は、森氏の提案をもとに、新設学部構想を「経営学部地域ビジネス学科」としてまとめました。2000年度で日本福祉大教授の定年を迎える森氏も2001年度から学部長就任を求められ受諾しました。

消えた「地域ビジネス学部」案

開学から2007年3月まで経営学部長を務めた森氏

 森氏によると設立準部委員会では当初、新学部名は「地域ビジネス学部」とする案が有力でした。「他大学にはない学部名で新鮮さがある」という意見が多かったからですが、森氏は「経営学部」案を主張しました。

 「当時、中部地方の大学では、愛知県を筆頭に経営学部は乱立気味でしたから、新設申請ではユニークな学部名にした方がいいという考えもあったようです。ただその時は新鮮に見えても、10年もすると、〝あの頃はやった学部か〟と懐かしかられることにもなりかねない。学部名の変更は容易ではなく、時代を通して安定している〝経営学部〟を掲げ、学科名として〝地域ビジネス学科〟を採用してはどうかと提案しまた。委員会で決定は保留となりましたが、次回委員会で〝経営学部〟案に決まりました」

 東邦学園大学が開学した2001年、文部省は省庁再編に伴い文部科学省となりました。文科省によると2001年度に開設が認められた大学は20校(公立2校、私立18校)でした。新設された大学の経営系学部の名称です。 

 尾道大学(経済情報学部経済情報学科)▽高崎商科大学(流通情報学部流通情報学科)▽共栄大学(国際経営学部国際経営学科)▽埼玉学園大学(経営学部経営学科)▽嘉悦大学(経営経済学部経営経済学科)▽長岡大学(産業経済学部産業経済学科)▽東邦学園大学(経営学部地域ビジネス学科)

 2001年度には新たに学部を設置した大学も31校ありました。経営系学部学科では奈良県立大学に地域創造学部地域経済学科、観光経営学科が、秀明大学に総合経営学部企業経営学科、生活経営学科、医療経営学科が、名古屋商科大学に経営情報学部経営情報学科などが誕生しました。

下出記念館あとにA棟が完成

丸山学長と名誉教授となった牟礼元学長、原元学長(左から)

 東邦学園大学の新校舎として建設されたのはA棟です。東邦短大時代には〝夢の学生会館〟として1973(昭和48)年に完成した「下出記念館」(4号館)を取り壊して建設されました。地上4階、地下1階建てのガラス張り校舎は、4年制大学として新たな船出を象徴するかのような斬新なデザインでした。

 完成したA棟前で初の入学生を迎えた満開の桜が、短大37期生の卒業アルバムに収められていました。桜は短大が開学した1965(昭和40)年に、初代理事長である下出義雄氏夫人であるサダさんが植えたものでした。L棟建設に伴い撤去される予定でしたが、枝を伐採し正面脇に植え直されました。〝サダさんの桜〟は植樹から55年を経た2020年春も見事な花を咲かせました。

 東邦学園大学の開校を前にした2000年3月、東邦短大で学長を務めた2氏が学園に別れを告げました。第7代の原昭午学長(1988年4月~1994年3月)と第9代の牟礼早苗学長(1997年4月~2000年3月)です。短大は2000年7月10日、2氏に名誉教授の称号を授与しその功績を称えました。

2氏は「東邦キャンパス」75号(2000年5月5日)に寄せた「別辞」で、船出する東邦学園大学へのエールを送っています。

 

新世紀への対応を祈って 原昭午

 私の教員生活は東邦学園短大の開学とともに始まった。開学当初は定員の6割程度の入学者しか迎えられず、しばらくの間はひっ迫した経営状態が続いたが、ふだんの授業、学生との交流などは人間味に満ちていて、それなりに学校教育の体をなしていたと考える。

 短大運営がどうにか軌道に乗るには10年ほどを要したが、その間は手探りの努力に明け暮れた。時には徒労に終わる試みもあったが、お互いに現状打破に向けて喧々諤々の論議を繰り返し、教授会が夜半に及ぶこともしばしばであった。教員の大部分が40歳未満であったという生臭さと若さが、窮状打開を可能にさせたものであろう。

 しかし、現在直面している困難さは、もはや学校が否定されるに至っている点では全く未経験の事態というべきだろう。短大開設以来蓄積されてきた全教職員の経験と能力を集約しながら、新たな事態への積極的対応へ踏み出すことが求められている。それは東邦学園の伝統としてすでに定着していると言えるのであり、学園の将来を保証していると確信している。

 

新しい大学の船出を祈念  牟礼早苗

 思えば1992年4月に経営情報科要員として招かれて以来8年、まさに「光陰矢の如し」を実感するばかりです。1997年4月に学長に就任して間もなく、「私はソーラーカー、教職員の皆さんを太陽エネルギーにし、経営資源を無駄にせず、ゼロエミッションをモットーに運行していきたい」とあいさつしました。

 短大の存立条件の厳しさが先行き一層増すとの観測と、文部行政の変化(規制緩和方針の具体的明確化)を踏まえて、6月に「新しい大学づくりに取り組もう」と呼びかけました。新しい大学構想について、全教職員にアンケート調査することから始め、専門チームによる市場調査、分析、コミュニティーカレッジ化の検討を経て、将来構想プロジェクトの検討に取り組みました。基本計画の策定、学園諸機関での審議・決定、事業推進体制の整備と順に事を運び、現在、四大(経営学部地域ビジネス学科、入学定員200名)を2001年4月に開学すべく設置認可申請しました。

 「新しい大学」が日の目を見るにはあとしばらく要しますが、ミレニアム期に条件整備ができ、新世紀を四年制大学・短大併設の新大学の発足で迎えられることを固く信じています。

法人広報企画課・中村康生 

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