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第82回

コラム⑭ 小2時代の藤井新棋聖 

2010

更新⽇:2020年7月20日

と金クラブ主催の名古屋小中学生将棋大会

後藤代表の高学年表彰の間、優勝カップに見入る藤井さん

2020年7月16日に行われた第91期棋聖戦五番勝負第4局で渡辺明棋聖(36)に勝利し、17歳で最年少タイトル獲得記録を30年ぶりに塗り替えた藤井聡太新棋聖。藤井さんは7歳の小学2年生だった2010(平成22)年5月、「名東区民まつり」企画として愛知東邦大学で行われた「第6回名古屋小中学生将棋大会」に出場し、低学年の部で優勝していました。高学年の部表彰式が進行中、授与された優勝カップを興味深そうに手にする藤井さんの姿が、愛知東邦大学職員のカメラで撮られていました。10年後、日本中を驚かせる天才棋士となるとは思いもしなかったうれしいワンショットでした。

名古屋小中学生将棋大会は、愛知東邦大学を教室会場として2004(平成16)年から小中学生たちに将棋を指導している「と金将棋クラブ」と東邦学園の主催で、2005年から毎年、愛知東邦大学で開かれています。藤井さんは小学1年生の時の第5回大会から参加。東海3県から参加した171人中、46人が参加した低学年の部では決勝で3年生に敗れ準優勝でした。2年生だった第6回大会の参加者は168人で藤井さんは40人が参加した低学年の部で見事優勝していました。

すでに優勝街道まっしぐらだった

大勢の親たちが見守った第6回大会。後方には藤井さんらしい姿も

第6回大会の様子をカメラに収めていたのは、当時、広報を担当していた奥田緑さん(現在入試広報課)です。学内広報誌用に会場のB201教室で撮影しました。創設時から「と金クラブ」の代表を務め、現在は相談役の後藤克義さん(81)は、「まさしくあの時の聡太君です。自分の表彰が終わって、私が高学年の表彰を行っているところ。かわいいなあ。よくこんな写真が残っていましたねえ」と目を細めました。後藤さんは「低学年の部で優勝するのは3年生が多い。1年生で準優勝というのもなかなかない。優勝したのは2年生になったばかりの5月ですからさすが聡太君ですね」とも語りました。

後藤さんによると、藤井さんの大会への出場申し込みは、瀬戸市で藤井さんが通っていた「ふみもと子供将棋教室」を開いている文本力雄さん(65)を通じてありました。後藤さんと文本さんは日頃から互いに連絡を取り合っており、愛知東邦大での大会案内チラシも文本さんに送られていました。

「文本さんから、〝後藤さん、20年に1人の子が入ってきたよ〟と電話があったんです。文本さんは最初に詰将棋をしっかり教え込ませる。それが藤井君にはぴったりだったんでしょうね」と振り返ります。

小学2年生時代の藤井さんの将棋レベルを文本さんに聞いてみました。「と金クラブが行う市長杯名古屋小中学生大会はそれなりの規模の充実した大会なので、うちの教室からも子供たちを送り込んでいました。藤井君は小学2年生のころには、すでに優勝街道まっしぐらでしたよ」。藤井さんの最年少タイトル獲得での歓喜の余韻もあってか、電話での文本さんの声は弾んでいました。

将棋が好きな無心時期

特別ゲストで訪れた屋敷九段と斎田女流四段(B201教室で)

藤井さんが愛知東邦大で開催される名古屋小中学生将棋大会に出場したのは小学1年生と2年生の時の2回だけでした。後藤さんは「もううちの大会は〝たるく〟なったんかなあ。3年生の時は名古屋地区では最大の大会である10月のJT将棋日本シリーズこども大会東海大会に出場し、低学年の部で優勝していましたよ」と言います。

藤井さんはこの大会前の8月にも第10回全国小学生倉敷王将戦の低学年の部で優勝していました。まさに、〝優勝街道〟をまっしぐらに走り出していました。

藤井さんは、JT将棋日本シリーズ東海大会で優勝した当時の思い出を、JT「テーブルマークこども大会 OB紹介」ウェブサイトに掲載されているインタビューで次のように語っています。(抜粋)

<将棋は祖母にもらったおもちゃで一緒に始めたのがきっかけでした。祖母と初心者同士遊んでいるうちに祖父にも勝てるようになり、どんどん楽しくなって将棋教室に通い始めました。小学3年生のときに「全国小学生倉敷王将戦」と「将棋日本シリーズ こども大会」東海大会で優勝したことで、上でやっていける自信が出たんです。そのころから本気でプロを目指すようになりました。ただ、奨励会に入ってから負けが続いた時期があって、そのころが一番辛かったですね。それまで将棋が好きという一心でやってきたので……。それでも、やめたいと思ったことはないです。負けを引きずらないで、それまでと変わらず「将棋が好き」という気持ちでやってきたからでしょうか>

藤井さんが、愛知東邦大での大会に参加していたのは、「将棋が好きという一心でやってきた」とういう無心の時期だったようです。

 

最年少タイトル記録保持の屋敷九段との記念写真も

屋敷九段、斎田女流四段らとの記念撮影

愛知東邦大学で行われた「第6回名古屋小中学生将棋大会」には、藤井さんが17歳11か月で最年少タイトル獲得記録を塗り替えるまで、最年少記録保持者(18歳6か月)だった屋敷伸之九段(48)も招かれていました。10年前ですから38歳の時です。

と金クラブは日本将棋連盟の支部で、後藤さんによると、名古屋小中学生将棋大会のようなある程度大きな大会には連盟からプロ棋士が派遣されます。将棋の普及活動の一環で、第5回大会では飯島栄治六段が、第6回大会では屋敷九段と斎田晴子女流四段が特別ゲストとして来訪。予約した参加者たちに指導対局を行いました。

屋敷九段と斎田四段は表彰式終了後、入賞者たちと記念撮影。低学年の部で優勝し、日本将棋連盟の米長邦雄会長から贈られた表彰状を広げる藤井さんのすぐ後ろに屋敷九段の笑顔もありました。ちなみに、藤井さんが1年生の時の第5回大会記念写真で、藤井さんのすぐ後ろにいるのは運営担当部署の学生課職員だった松井慶太さん(現在入試広報課)です。第6回担当の学生課職員は村松芳紀さん(現在経理課)で、斉田四段、屋敷九段らと並ぶ村松さんの写真も残されていました。

 

コロナ禍で愛知東邦大教室は閉鎖中

小1で準優勝の藤井さん(後ろは松井さん)と後藤さん

2005年5月8日に大学、高校で開催された「名東の日」協賛事業について「東邦キャンパス」96号には、「本学が地域と一体となって、本格的に春にこの事業を行うのは初めて」と書かれています。フリーマーケット、新鮮野菜の販売市、ミニ文化講演会、親子映画会など13の協賛事業には、第1回の名古屋小中学生将棋大会も含まれていました。

さらに第97号(10月19日)には、「名東の日、区民祭り盛大に挙行」の記事が掲載され、地域と学園が手をつないで企画した協賛事業の成果が報告されました。大学地域交流委員長の深谷和弘助教授(現教授)は、大学・短大が共催した「と金クラブ」主催の名古屋小中学生将棋大会について次のように報告しています。

<およそ200名以上の親子が早朝からこの将棋大会に参加し、S101教室(現在のS棟トレーニングセンター)では白熱の勝負が繰り広げられました。その場の雰囲気から、この将棋大会のレベルの高さを直感しました>

後藤さんは小学4年生ごろから本将棋を始め、現在は、日本将棋連盟に4段までの昇段を推薦できる棋道指導員です。名古屋市内で喫茶レストランチェーン店経営をしていましたが60歳で退職。名東区平和が丘4丁目に自宅があったこともあり、区内のコミュニケーションセンター(コミセン)で同世代の将棋好きの仲間たちと将棋クラブを立ち上げました。

しかし、2003年に旗揚げしたたものの、会場の平和が丘コミセンは20人しか収容できないなど困っていたところに東邦学園関係者から「よかったらうちの大学を会場にどうぞ」と声がかかりました。こうしたいきさつで、2004年度から、S棟の和室を借りて「と金クラブ」をスタートさせることができたそうです。以後、S棟が月2回の教室会場になっています。

藤井さんが優勝した「第6回名古屋小中学生将棋大会」の様子が名古屋のケーブルテレビ「スターキャット」のニュースで紹介されていました。後藤さんは開会のあいさつで、子供たちに、「伝統文化である将棋を通じて、物を考える思考力、自分で考えた手を指す判断力、お願いします、ありがとうございましたという礼儀の『三手の読み』を学んでください」と呼びかけていました。2012年11月、後藤さんには日本将棋連盟の米長会長から、「多年にわたり棋道に深い理解を寄せ、名古屋と金クラブ支部長として陣頭に立ち地域普及に絶大な功績があった」と感謝状が贈られました。

新型コロナの感染拡大で愛知東邦大学への立ち入りが禁止されたこともあり、2020年は名東区民まつりとともに第15回名古屋小中学生将棋大会は中止となりました。S棟を使っての教室も開けなくなり、会員たちは区内のコミセンでの会場で、フェイスフィールド姿で練習を続けています。後藤さんは「10月ころからでも、何とか東邦に戻れればいいのですが」と話しています。

法人広報企画課・中村康生

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