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寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第84回

「愛知東邦大学」新たな船出  

2007

更新⽇:2020年8月7日

人間学部開設、日進グラウンドもオープン

日進グラウンドで開かれ第1回愛知東邦大学杯少年サッカー大会

東邦学園大学から校名変更した愛知東邦大学は2007年度、経営学部と人間学部の2学部体制で新たな船出をしました。入学式は4月1日、体育館で行われました。入学定員350人=経営学部200人、人間学部150人(人間健学科100人、子ども発達学科50人)=ですが、「東邦キャンパス」102号(2007年5月21日)によると、新入生は346人。経営学部186人、新設の人間学部が160人(人間健康学科102人、子ども発達学科58人)でした。

開学以来43年目を迎えた東邦学園短大はこの年から人間学部定員に相当する経営情報科150人の募集を停止したことで新入生はなく、短大・大学合同で行われていた入学式は愛知東邦大学のみでの開催となりました。

山極完治学長は式辞で「4年間・1460日かけて自分だけの地図をデザインしてください。そのためのサポートは教職員が全力で行います」とあいさつ。新入生を代表して経営学部の生駒久智さんが「学生と先生方の距離がとても近いところにひかれて入学しました。社会から信頼される人格を身につけたいと思います」と宣誓しました。

人間学部の初代学部長には短大の経営情報科長だった山本正彦教授(福祉会計システム論)が就任。「健康、心理、福祉、幼児保育という4分野から人間の抱える課題考える学部」を掲げ、人間健康学科、子ども発達学科とも10人の専任教員を配置しての船出でした。

人間健康学科の開設に合わせ、キャンパス内にはC棟が新設され、入学式の後、テープカットが行われました。専門科目の講義、演習、実技がC棟トレーニング施設で実施されるようになりました。

2002年10月に創設された「東邦学園大学地域ビジネス研究所」も人間学部の開設に伴い、研究・活動範囲が大幅に広がったことで2007年4月から「愛知東邦大学地域創造研究所」と改称し、研究叢書名も「地域創造研究所叢書」と変更されました。

日進市の東名高速道路沿いには野球場とサッカー場を備えた日進グラウンドがオープンしました。経営学部スポーツマネジメントコースの学生たちは、杉谷正次准教授の指導で、夏休み中の8月4日、日進グラウンドを会場に、「スポーツを地域振興に役立てよう」と「愛知東邦大学杯少年サッカー大会」を企画、運営し開催しました。関わった経営学部2年生の長田直之さんの手記が「スポーツで地域貢献」というタイトルで8月21日付中日新聞に掲載されていました。

<学生はプレー経験はあるものの、スポーツ大会を企画・運営したという経験者は一人もいなかった。全国規模のスポーツ大会を何度もマネジメントされたことのある杉谷准教授の指導のもと準備を進めることとし、4月に完成した大学サッカー場に会場を確保した。元気にプレーする子どもたち、指導する学生たちの姿を見て「開催してよかった。来年もぜひ開催しよう」という意見で一致した>(要旨)

12歳以下を対象にしたこの大会は、長田さんたちが希望した通り、翌年以降も毎年開催されており、2019年12月には中日新聞社、中部ケーブルネットワーク、日進市サッカー協会の後援で第13回大会が開かれました。写真左端が長田さんです。

クリーンキャンパスへ「無煙宣言」

禁煙のぼり旗で高校生たちを迎えたオープンキャンパス(8月10日)

愛知東邦大学は2007年度からキャンパス内の全面禁煙に踏み切りました。オープンキャンパスでは、「禁煙・無煙宣言」「歩行禁煙・ポイ捨て禁止」を掲げたのぼり旗がキャンパス内に立ち並び、高校生たちに「クリーンキャンパス」への決意をアピールしました。

学生の喫煙問題は、2001年の開学以来の大きな課題となっていました。入学式当日から、大半が未成年であるにも関わらず、「3分の1は喫煙しているのではないか」と教職員が驚くほどでした。2002年に健康増進法が制定され、学校などの管理者には受動喫煙を防止する必要な措置を取ることが求められましたが、有効な打開策が見い出せないでいました。2005年9月に教員として着任、人間学部開設ではスポーツ分野での準備にあたってきた葛原憲治助教授(トレーニング科学、現教授)が、全面禁煙推進全学委員として、「禁煙・無煙宣言2007」キャンペーンについて「東邦キャンパス」101号(2007年1月10日)に寄稿し、次のように書き出しています。

<2005年までのキャンパス内の喫煙情況はひどいものでした。喫煙場所が5か所もありながら、喫煙場所以外の喫煙は後を絶たず、教室内はもちろん、トイレ、エレベーターホール、学食内、体育館等が吸殻の山となっていました。教職員による見回り、キャンパス及びキャンパス周辺の吸殻拾いを実施していましたが、状況は変わりませんでした。しかし、2006年から学生生活委員会を中心とする教職員の取り組みにより、キャンパス内の様相が徐々に変化してきました。現状把握のためのアンケート実施で、全学生の約5割が喫煙しており、そのうち7割の学生が禁煙を希望していることが分かりました。受動喫煙に対して全学生の5割が不満を持ち、分煙の不徹底に対して7割以上の学生が不満を持っていることが分かりました>

大学では、分煙を徹底するため、学内での喫煙場所を2か所に集約したうえで、教職員の見回りを吸殻拾いに終始するのではなく、喫煙場所以外の喫煙に対しては罰則規定も設け、ルール違反学生に適用するなど徹底した指導を実施。1年生を対象にした禁煙教育のための講演会の実施、ニコチンガムの配布、保健室を中心に禁煙サポートサービスも開始されました。

2006年前期には生協導入によるリニューアルに加え、学生生活委員会による4、5月の集中指導で、学生食堂内の喫煙が完全になくなり、10月の教授会で2007年4月からに「キャンパス内全面禁煙」の実施が承認されました。

「クリーンな愛知東邦大学」を掲げ新たなスタートを切った2007年度でしたが、喫煙問題解消にはなお時間を要しました。学生生活委員長の井上秀次郎教授(経営学部)は後援会誌「邦苑」29号(2008年3月)で、4月からの経緯を説明、関係者の理解を求めています。

井上教授によると、全面禁煙を開始した4月初めから、大学周辺での学生のたばこのポイ捨てや歩きたばこ、さらには座り込んでの喫煙が目立つようになり、住民からの苦情も一挙に倍化しました。従来からの教職員による学内外での見守りのほか、急きょ、学生生活委員メンバーで、見回りとは別に朝夕の登下校時間を中心に、正門に立ちました。夕方、校門に立てなかった翌朝は、校門周辺は吸殻が散らかり放題で、多い時には200本近くを拾いました。

<朝の「おはよう」、夕方の「さようなら」というあいさつを繰り返している中で、最近ではキャンパス内でもあいさつしてくれる学生が増えました。喫煙マナー指導もさることながら、それ以上に学生とのコミュニケーションが密になり、また、正門前の住民の人たちからも感謝の言葉をいただくこともあります。これからも皆様方のご理解、ご協力をお願い致します>

「常に次のチャレンジへ」

オープンキャンパス会場での新校名アピールの看板(9月22日)

愛知東邦大学では2007年度、5回のオープンキャンパスが開催され、高校生への新校名アピールが行われました。正門から入ったS棟前には「2007年4月校名変更 旧校名:東邦学園大学」という説明付きの「愛知東邦大学 i n g 。常に、次のチャレンジへ。」のキャッチコピーの看板も掲げられました。

オープンキャンパスは7月29日(日)、8月10日(金)、同22日(水)、9月22日(土)、10月13日(土)に開催されました。施設の紹介や在学生が就職活動体験や海外留学体験などを語りかける「キャンパスボイス」、模擬授業、総合説明会などが行われました。11月24、25日に開催される大学祭「和丘祭」の実行委員会が例年より早く、新年度早々に立ち上がり、36人のメンバーたちがオープンキャンパス運営の学生スタッフとして積極的に加わりました。

2007年度大学祭実行委員長の西川佳介さん(経営学部3年生)は「2007年は、私たちにとって、新たな歴史を生み出す記念となる年。実行委員全員のモチベーションは高く、それぞれの個性とバイタリティを終結させた大学祭を開催できると自負しています」「大学の重要なイベントであるオープンキャンパス(計5回)にもスタッフとして加わり、見学に来た高校生たちのホスト役を買って出る超積極派です」と決意を語っていました。(10月15日発行「東邦キャンパス」103号)

人間学部模擬授業では、人間健康学科で「スポーツと心について」「若さを保つ筋力アップトレーニング」、子ども発達学科では「幼児の身体表現」「心理テストで自分の心の中をのぞいてみよう」などの模擬授業が行われました。

5回のオープンキャンパスの参加者は約700人で前年より200人強の増加でした。

「R e : S t a r t」掲げた和丘祭

東邦学園短大にとっては第43回で最後となった「和丘祭」

2007年度「和丘祭」で実行委が掲げたテーマは「R e : S t a r t」でした。校名変更、人間学部誕生に加え、2年生が卒業すれば43年の歴史に終止符を打つことになる東邦学園短大の伝統を引き継ぎ、新たな和丘祭として再出発する決意が込められていました。

祭りは餅まきならぬアメまきでスタート。4月に新しく出来たC棟の一室では目玉企画「カラオケ王座決定戦」の予選が開始されました。校門からC棟に続く〝和丘祭ロード〟には店開きした模擬店での呼び込みの声が飛び交い、〝出張配達〟の学生たちが駆け回りました。夜のイベントでは、大学祭初の試みとして、ZIP-FMとのタイアップによるエイジアエンジニア(4人組ヒップホップグループ)、KAME&L.N.K(豊田市出身のヒップホップグループ)、RSP(女性ボーカルユニット)の3組のゲストライブが行われ、祭り初日の盛り上がりは最高潮に達しました。

2007年4月、経営学部教員に着任した大勝志津穂講師(現在人間健康学部教授)は初めて体験した愛知東邦大学の大学祭について後援会誌「邦苑」29号(2008年3月)に書き残していました。(抜粋)

<この2日間、地域の人々やOB・OG、さらには教職員の家族など、多くの人々が大学に足を運んでくださったと思います。私自身は、講義では見られない学生の一面を見ることができ、新たな発見をすることができました。また、学生も学園祭を通して新たな発見をし、成長したと思うので、今後の大学生活にこの経験を生かしてもらえればと願っています>

 

1万2570人が巣立った東邦学園短大で最後の卒業式

短大最後の卒業式を伝えた「東邦キャンパス」105号

1965年の開学以来、最後の卒業生を送り出した東邦学園短大の第42回卒業式と愛知東邦大学の第4回卒業式が2008年3月19日、S棟体育館で行われました。開学以来の卒業生は1万2570人を数えました。卒業生数が最も多かった1994年度は562人でしたが、最後となった2007年度は98人でした。

短大総代として山極学長から卒業証書を授与されたのは田上可奈子さん。答辞を述べた山路優子さんは「私たちを育ててくれた短大は姿を消します。寂しくないと言えば嘘になりますが、たくさんの経験をして、大切な友人も増え、濃い学生生活を過ごした場所でした」と思い出を語りました。

経営情報科の定員150人を愛知東邦大学人間学部に引き継ぐことで43年の歴史に幕を下ろした東邦学園短期大学。第7代学長(1988年4月~1994年3月)の原昭午氏は短大最後の卒業式を伝えた「東邦キャンパス」105号(2008年5月20日)で短大の歩みを振り返っています。

 

 短大という教育遺産     元学長・原昭午

<2008年3月をもって東邦学園短期大学の歴史が閉じられた。その創立に関わったものとしては、名残り惜しさと共に一つの時代の終わりを感じざるをえない。それにしても、短期大学という教育システムが過去のものとなっていく事実をどう受けとめたらよいのであろうか。近年の大学教育をめぐる厳しい状況は、外部にいる我々にも伝わってくるが、40年近く短大で学生らと学園生活をともにしてきた者として、そこにおいて培われ、また伝えられてきた教育遺産は、今後に継承されるべき意味を有していると考える。

卒業生のその後の歩みと各分野における活躍ぶりをみるとき、ここ数十年にわたる日本社会において短期大学の担ってきた教育の役割は十分実証されていると考えるのであるが、しかし、近年の進学動向において、4大志向偏重と企業側の求人状況などにおいて、現状はやむをえぬところであろうか。こうして筆をとりながらも、1回生に始まる卒業生諸君の顔を思い浮かべながら、今後とも同窓生としての友好と信頼の関係を保ち続けたいものと願っている>

 

 母校の名が消えることを学生に伝えるつらさ     教員・小野隆生

短大教員として最後の卒業生を見送った小野隆生教授(名誉教授)も記念誌「東邦学園短期大学の43年」に「最後の1年間」の思いを書き残しています。

<私が前任校を辞して、東邦学園短期大学経営情報科に奉職したのは1995年4月。それから13年後の2008年3月、東邦学園短期大学は役割を終えることになりました。想えばこの間、東邦学園大学(経営学部)の創設、短大の縮小など様々なことがありましたが、最も心に残っているのは、短大最後の年のことです。自分の母校の名がなくなることを学生に伝達するつらさを初めて味わいました。

さらに、「最後の一人まできちんと教育して学校を閉じる」方針を貫徹するために、成田(良一)経営情報科長を先頭に、ほとんどマンツーマンに近い教育に取り組みました。幸い落伍する学生も出ず、卒業式を迎えましたが、学生の気持ち等、様々な点に配慮した1年でした>

法人広報企画課・中村康生

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