検 索

寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第86回

寛斎さんと翔んだ

2005

更新⽇:2020年9月10日

「愛・地球博」開幕舞台への出演依頼

「愛・地球博」開幕イベントに出演した東邦高校吹奏楽部

「自然の叡智」をテーマに、121か国4国際機関が参加した「愛・地球博」(2005年日本国際博覧会)が2005年3月25日から9月25日まで、長久手市を中心に開催されました。185日の開催期間中の来場者が2200万人に及んだ万博開幕を告げるオープニングイベントは、国際的なファッションデザイナーとして活躍する山本寛斎さんがプロデュースし、東邦高校吹奏楽部も出演し晴れ舞台を盛り上げました。

当時の吹奏楽部顧問である保坂秀正教諭は、「東邦キャンパス」96号(2005年5月16日)に、その経緯を、「2004年秋、マーチング全国大会に出場した東邦高校吹奏楽部の演奏ぶりを山本氏が見初めたためらしい」と報告しています。

「万博開会イベントに5日間出演しませんか」という打診は12月初め、吹奏楽連盟からの電話でありました。当然、事前の練習もあるし、東邦高校が出場予定の甲子園センバツでの応援とぶつかる可能性もありました。「嬉しいことではあるが、ある程度調整と心配りをして臨まなければならないと考え学校とも相談しました」。

東邦高校吹奏楽部は2004年11月21日、千葉市の幕張メッセで開催された第17回全日本マーチングコンテスト(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)に東海支部代表として出場しました。持ち込んだ演奏曲はテレビの人気ドラマ「暴れん坊将軍」と「大江戸捜査網」のテーマ曲でした。整髪料でオールバックに固めた女子部員たちが楽器を手にエネルギッシュに動き回るパフォーマンスは、これまでの大会では見られない光景でした。

<インパクトがあったのは東邦高校の「暴れん坊将軍」(笑)。みんなオールバックにして(女の子も)振り付けも大げさで・・・若いからできるだろうなぁ(笑)>という書き込みも登場しました。山本氏が「見初めた」のもこの斬新なステージだったようです。

 

共感してもらえるマーチングめざす

5日間にわたって開催された「とぶぞっ ~いのちの祭~」

全日本マーチングコンテストは神戸と幕張で毎年交互に開催されていました。東海支部代表の常連校は愛工大名電高校と木曽川高校でしたが、2004年は東邦高校と木曽川高校が出場しました。「暴れん坊将軍」と「大江戸捜査網」のテーマ曲で幕張に乗り込んだ吹奏楽部を率いたのはコーチの白谷峰人さん(現在、TOHO MARCHING BAND音楽監督、東邦学園職員)です。東邦の出場は1997年の神戸、2002年の幕張に続いて2004年で3回目でしたが、演奏曲にテレビドラマのテーマ曲を選んだのは初めてでした。

<審査員から高得点が得られやすい〝勝てる曲〟を選んで勝ちに行くのが常套手段と思いますが、そういう曲では一般のお客さんには伝わらない部分もある。多くのお客さんに共感してもらえるマーチングをしようとテレビドラマの人気曲を選びました。松平健の「暴れん坊将軍」ならだれでも知っているしカッコいいと思いました>(白谷さん)

金、銀、銅賞が贈られるコンクールで東邦高校は銅賞でした。しかし、出場校には東京ディズニーランドでのマーチング演奏が認められ、東邦高校もシンデレラ城周辺をパレード演奏しました。同行した吹奏楽部顧問の小嶌大介教諭は、<嬉しかったのは、お客を楽しませるディズニーリゾートのスタッフから「感動で涙が出そうでした」と言っていただけたこと、県外の団体から「ファンになりました。ぜひ定期演奏会の日程を教えてください」と言われたことです>と、「東邦キャンパス」94号(2005年1月1日)に書き残しています。

山本氏がプロデュースした開幕オープニングイベントは「とぶぞっ~いのちの祭~」。地元の熱い「人間力」と「元気力」で185日間の「愛・地球博」を盛り上げ、活気を与えようという企画でした。出演者として和太鼓、津軽三味線、ダンス、吹奏楽などを担う地元の県立長久手高校生有志、岐阜市立短大有志、中村民謡会、東邦高校吹奏楽部のほか明治大学応援団など全国の団体、有志に声がかかりました。

山本氏は東邦高校を訪れ吹奏楽部員たちと交流。旧校舎の音楽棟でDVDを使った過去のイベント例を紹介しながら、「お客さんに元気を伝える演奏をしてください」と吹奏楽部員たちに呼び掛けました。東邦高校の出番は、単独マーチング演奏と全体でのフィナーレ演奏の舞台。生徒たちはさっそく白谷さんの指導で平和公園芝生広場での練習をスタートさせました。

「小澤征爾のようにワイルドな指揮を」

ステージで東邦高校生たちを鼓舞した山本寛斎さん

2005年3月8日付の日本国際博覧会協会のホームページに、<山本寛斎プロデュース「愛・地球博」オープニングイベント『とぶぞっ ~いのちの祭~』イベント概要決定、明日より本格始動>というプレスリリースとともに、山本氏からのメッセージが掲載されていました。

 

人間(ひと)は常に自らを超え続けてきました。

そして、何時(いつ)もその瞬間には、ひたすら夢を追いかける人々のエネルギーが存在しました。

今、日本は時代の転換点に立っています。

それは、お手本のない未来に向かう模索と創造の時代への転換の瞬間(とき)です。

そして、それを超えるために、この夢を追いかけるエネルギーが最も必要であると考えています。

とてつもなく熱く、眩しい瞳のキラキラ!

観客の頭上をすさまじいエネルギーで元気に暴れまくる、30メートルの巨大な熱気球。

ワクワク、ドキドキ、エキサイティング!!

地球で一番熱い、いのちの祭!!とぶぞっ!!

山本寛斎

 

オープニングイベント「とぶぞっ」では東邦高校の新2、3年生約50人は「風の衆」という役割でした。白谷さんは東邦高校単独のマーチング指揮をとりましたが、山本氏から直接にかけてもらった言葉を覚えています。自らデザインした出演者たちと同じ法被姿の山本氏は白谷さんに、「小澤征爾なみにもっとワイルドに、躍動感のある指揮をしなさい」とアドバイスしてくれました。

<寛斎さんに声をかけてもらったのは2日目のリハーサルの時でした。初日は観客の入りも良くなく、終演後の全体ミーティングでは、寛斎さんは、「だめだ、だめだ」とすごく怒っていました。それだけに、2日目からは「やったるぞー」という気だったんでしょう。指導してもらって「なるほど」と思いました。音楽的なセンスというより、イベントの企画力がすごい。一緒にいるプロデューサーの方が寛斎さんの思っていることをしっかりと、具体的に形にしており、これもすごいなと思いました。万博開幕イベントへの出場、寛斎さんとの出会いは自分と生徒たちにとって素晴らしい経験になりました>と白谷さんは振り返ります。

ベスト8進出の甲子園応援は卒業生部員がカバー

2005年春のセンバツ大会には3年連続27回目出場

開幕イベントは3月25、26、27日と4月1、2日の5回、夕方6時から愛・地球広場で行われました。甲子園球場では3月23日から4月4日まで第77回選抜高等学校野球大会が開催され、東邦高校は3年連続27回目の出場を果たしていました。出場32校では最多出場で、阪口慶三前監督からバトンを引き継いだ森田泰裕新監督にとっては甲子園デビュー戦でした。

東邦の1回戦は万博3日目の3月27日に行われました。育英高校(兵庫)を相手に3年生エース木下達生(現在、東邦高校教諭で硬式野球部コーチ)が延長10回を無失点で投げ切り、1―0でサヨナラ勝ちしました。3月31日の2回戦も東海大相模を7―3で制し4月2日の準々決勝(ベスト8)に進出しましたが、羽黒高校(山形)に1―5で敗れました。

吹奏楽部が万博イベント出演の合間を縫って甲子園での応援に駆け付けたのは3月31日の2回戦の東海大相模戦だけとなりましたが、1回戦、準々決勝での応援演奏は吹奏楽部出身の卒業生たちがカバーしてくれました。

1回戦で東邦が育英に勝った時は、吹奏楽部員たちは「これで甲子園に行って一緒に応援できる」と喜びを爆発させました。白谷さんは「生徒たちにとってやはり甲子園は特別なんだ」と改めて思ったそうです。

現在は東邦学園野球部総監督を務める森田氏は、「ベンチにいると、目に入って来るのは相手校の応援ぶり。東邦の応援席はベンチの後ろでしたがいつも大入りでした。吹奏楽応援も卒業生たちがしっかりカバーしてくれたのでしょう。全然気になりませんでしたよ」と振り返ります。

森田氏は東邦高校が1977年夏の甲子園で、バンビの愛称で呼ばれた坂本佳一投手を擁し夏の甲子園準優勝した時の主将。東邦野球部では20年間のコーチ時代を経て2004年7月から2020年3月まで16年間監督を務めました。選手時代を合わせると甲子園出場は春夏で24回に及びました。センバツではコーチとして平成元年(1989年)、監督としても平成最後となった2019年に東邦を全国優勝に導きました。

大河ドラマテーマ曲への挑戦

第21回全日本マーチングコンテスト(2008年・幕張)で。中央が白谷さん

「愛・地球博」開幕イベント出演を経て東邦高校吹奏楽部は、マーチング演奏曲にNHK大河ドラマテーマ曲を取り込みました。「山本寛斎さんが東邦に声をかけてくれたのも、誰でも知っている曲に注目した選曲だと思いました。時代は楽しいマーチングを求めていると確信しました」と白谷さんは言います。

最初に挑戦したのは「愛・地球博」翌年の2006年に放送された「功名が辻」のテーマ曲で、それ以降も2012年の「平清盛」まで続きました。「功名が辻」の演奏では思いもよらない反響がありました。2006年9月、名古屋市総合体育館(2007年4月1日から日本ガイシスポーツプラザに改称)で開かれたマーチング愛知県大会での演奏を、「功名が辻」主演の仲間由紀恵さん、上川隆也さんを始め出演スタッフたち全員が鑑賞してくれていたというのです。出演者には舘ひろし、柄本明、 西田敏行さんらも名前を連ねています。

部員の女子生徒を通じて受け取った仲間さん、上川さんの色紙とともに、スタッフ代表が書き綴った「功名が辻スタッフ一同」からの手紙にその理由が書かれていました。

手紙には、この日は「功名が辻」の出演者全員が名古屋に集まり、空いた時間を利用して、非公式に愛知県大会を見学したことの説明とともに、その時の感動が書かれていました。(抜粋)

<本日は非公式に県大会を見学させていただきました。音楽の世界と言っても両極端なオケの世界、ブラスの世界と別れ、又、マーチング演奏は別の世界と今まで言われていました。私は音楽無知であることを思い知らされました。

各校とも厳しい練習を重ね、それぞれ気持ちのよいマーチングを行っていました。私の胸に、響きと音の世界がマッチしたマーチングが始まり、この時、時間つぶしではなくなりました。そして8番目、東邦高校の出番となり、出演者スタッフ(功名が辻)が息をこらえて待っていました。そして始まると同時に一瞬、観客と一体化したマーチングが行われ、観客全員感動の渦に巻き込まれました。

エンディングが近づくにつれ、私は2度衝撃を受けました。競技者の方にも涙を流している方が多く見られ、これが音楽だと悟りました。こんな感動、したことがありません。このような指導をされた先生方の下、マーチング出来たことに感謝しなければなりません。

マーチング演奏というより芸術です。ぜひ頑張って全国の方々に見せてあげてください。我々は今日、多数のメンバ-で来ましたが、みんな喜んでおりました。すばらしい指導者の方々と競技者の方々に最高の言葉を与えます。〝エメラルド賞〟。ありがとう。功名が辻スタッフ一同>

白谷さんは「部員保護者の方でNHKと関係のある方がいたようで、スタッフの皆さんはVIP席から見ていたようです。手紙の内容に、東邦のマーチング目指していることが凝縮されているような気がします」と嬉しそうでした。

 

山本寛斎さん逝く

「愛・地球博」開幕イベントの演出を務めた山本寛斎さんは2020年7月21日、急性骨髄性白血病のため亡くなりました。76歳でした。合掌

今回の連載で掲載した「愛・地球博」会場での写真は山本寛斎事務所から提供していただきました。

法人広報企画課・中村康生

 

この連載をお読みになってのご感想、情報の提供をお待ちしております。

法人広報企画課までお寄せください。

koho@aichi-toho.ac.jp

 

一覧に戻る

学校法人 東邦学園

〒465-8515
愛知県名古屋市名東区平和が丘三丁目11番地
TEL:052-782-1241(代表)