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寄 付

語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第87回

東日本大震災と東邦高校 

2011

更新⽇:2020年10月6日

犠牲者へ黙とう

宮城県南三陸町名足地区でのがれき撤去活動

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、岩手、宮城、福島県沿岸部を襲った津波被害を中心に2万人近い命が犠牲となりました。3月11日は金曜日。午後2時46分に発生した巨大地震は国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、遠く離れた名古屋でも観測され、千種区で震度4、名東区でも震度3が記録されました。愛知東邦大学や東邦高校でもただならぬ揺れを感じ、「一瞬、めまいがしたのではと思った」という職員もいます。

時間の経過とともに、被災者が撮影した動画も含め、信じられないような光景が次々にテレビ画面に映し出されました。土煙とともに家々をのみ込み押し寄せる津波。逃げ惑う人々。堤防を乗り越え市街地に流れ込む黒い濁流。衝撃的な光景でした。

東邦高校では月曜日の3月14日朝、長沼均俊教頭(現学園監事)が校内放送しました。長沼教頭は生徒たちに、東日本各地に未曾有の被害と犠牲者が出ていることを伝え、「亡くなられた方々を悼み黙とうしましょう」と呼びかけました。3年生はすでに卒業式を終えており、1、2年生たち(2010年度要覧によると1年生530人、2年生587人の1117人)が犠牲者の冥福を祈りました。

5日後の3月19日には校庭で3学期終業式が行われました。名古屋地方気象台の記録によると、この日の名古屋は最低気温は5.2度、最高気温は平年より高めの17.2度でしたが午前中は曇り。校庭での式は体育館と違い寒さが身にしみました。生徒や教職員の多くが被災地の凍てつく寒さと重ね合わせて校庭に立ちました。訓話で未曾有の震災被害について語った榊直樹校長(理事長)は校長として臨む最後の終業式でした。

終業式では定年を迎えた教員たちも生徒たちに別れを告げました。高井茂雄元校長(2003~2009年)もその一人です。高井氏は「東邦キャバス」112号(2011年7月1日)に掲載された「別辞」に大震災の悲しみを書き残しました。

<東北、関東の惨状を毎日憂えています。一瞬に奪われた命や日々の営み。先の見えない不安。続いて放射能の恐怖。私自身も、伊勢湾台風では母方の親戚全部が屋根まで水に浸かり、また近いところでは東海豪雨で自宅が浸水するという体験をしています。今回の空前の被害とは比較にはなりませんが、被災者の思いは他人の物ではありません>

 

0泊3日弾丸ツアーでのボランティア

女性職員が最後まで避難を呼びかけ犠牲となった防災対策庁舎

被災地には全国から多くのボランティアが駆け付け、がれき撤去などの作業に汗を流しました。東邦高校の生徒たちや愛知東邦大学の学生たちも現地に向かいました。東邦高校生たちは「愛知ボランティアセンター」が企画した夜行バスを利用した被災地支援活動に参加しました。

金曜日午後7時に名古屋市中区の東別院を出発し、車中泊で翌朝、宮城県の被災地入り。土曜日の一日をかけて被災した家々の泥出し、片づけ、がれき撤去作業が続きます。活動を終えた夕方、帰りのバスに乗り込み、日曜日朝に東別院に帰ってくるボランティア活動で、「0泊3日の弾丸バスツアー」とも呼ばれました。

第1隊は6月10~12日、宮城県南三陸町歌津名足(なたり)地区でのがれき撤去活動でした。参加者は生徒24人と教員2人。第2隊は7月8~10日で同県石巻市渡波(わたのは)小学校での泥出し、清掃など活動で生徒8人と教員1人が参加しました。第3隊は2012年3月30日~4月1日で石巻市の十八成浜(くぐなりはま)仮設住宅で、バトン部員の生徒21人と教員1人が参加し、バトン演技で被災者の激励も行いました。

個人として〝弾丸バスツアー〟に参加し被災地に向かった教員もいました。空手道部監督も務めた村田悟教諭(現在、イープロ勤務)も8月12日夕出発のバスに乗り込み、石巻市に向かい、がれき撤去に汗を流しました。「生徒たちが被災地にどんどん出かけており、教師としてじっとしているわけには行かない気がしたし、やはり自分の目で被災現場を見たかった」と振り返ります。

被災現場での驚きと感動

「作業中に見つけた写真を持ち主に渡すことが出来ました」

愛知東邦大学地域創造研究所から2013年3月14日に発行された研究叢書19号『東日本大震災と被災者支援活動』に、ボランティア活動に参加した東邦高校生徒たちの感想記が収録されています。

 

◇力を合わせると人間の力ってすごい

2011年6月、想像していたよりも衝撃を受けました。生の被災地を目のあたりにした時はショックが大きかったです。家族や友達を亡くした被災者のことを考えると、自分がショックを受けている場合じゃないなと思いました。重機じゃなきゃ撤去できないような家の屋根や電信柱をたくさんの人と引っ張ったりして、人間の力ってすごいなって思います。ボランティアを通して、日頃感じることの出来ないような人の力や気持ちを知ることが出来ました。作業中に見つけた写真を持ち主に渡すことが出来てよかったです。これからも色々なことに協力していきたいです。(1年E組 高島千尋)

◇3か月たってもまだこんな状態か

南三陸町志津川に着いて思ったことは、「3か月経った今でもこんな状態なのか。本当に人の力で復興できるのか?」ということでした。女性職員が最後まで避難を呼びかけていた防災対策庁舎は骨組みしかなく、3階屋上のフェンスすら流されていました。周りを見たら立っている電柱が1本もなく、すでに片付いたような「復興」というニュースで見る光景とはあまりの違いに驚きました。

今回のがれき撤去作業は、1軒分の家の瓦を片付ける作業でした。住民が一人でやれば途方にくれるような量でしたが、みんなで協力してやったら1日で片付き、人の力はすごいと思いました。(3年N組 大原一馬)

◇戦争の跡みたいな光景に鳥肌

東北に入ってまず見た光景は、本当にこれが日本なのか?でした。津波の力でここまですごい被害が出ていることを目の当たりにして、テレビとはまた違った衝撃が走りました。町はがれきの山で、電柱は倒れていて、信号もなく、戦争の跡みたいな感じでした。最初にみんなで黙とうした場所で、愛知ボランティアセンターの人の話を聞いたのですが、壮絶な被害者の現状に鳥肌が立ちました。

そのあと、みんなで南三陸町の名足へ移動して、がれきを撤去しました。僕たちは木材を撤去しました。ガラスなどが散らばっていたり、釘や金属片が落ちていて危険でした。屋根の2階部分をロープで結んでみんなで引っ張って撤去したり、ぬれた布団を運んだり、電柱をロープで引っ張って撤去したり、とてもつらかったです。午後は家の瓦などを、車で運んで撤去したりしました。僕は長靴のサイズが小さかったので足がやばかったです。(3年N組 姜昌勲)

名古屋に帰りあふれ出た涙

南三陸町から東別院に戻った東邦高校生たち(2011年6月12日)

◇当たり前の暮らしの貴重さを思う

笑顔で出発した7月8日には、まさか自分がこんな思いで帰ってくるなんて思わなかった。現地の石巻市渡波では涙は一粒も出なかったのに、名古屋に帰ってきて改めて一つひとつを思い出すと、満タンになったタンクからあふれ出すようにポロポロと――。建物が残っている。ハエがいない。クーラーがついている。風呂に入れる。ただ普通にしていたことがありがたくて、幸せで。

家、ないよ?船、何でこんな所にあるの?車、何で水の中にあるの。人、何でいないの。本当にこれが現実?この現実を受け止めることが辛い。胸が痛い。出発前に調べた現地情報では、森があって、野生の鹿がいたはずで、海も広がっていて、本当にいい所だったはずなのに。でも、この海が東北を変えて、海底に思い出を消したんだ。これだけ荒らしておいて、何事もなかったような静けさ。せこいよ――。自然のはかなさも実感した。(2年C組 梅屋舞花)

◇現地の方々から元気もらった

石巻市にはたくさんのがれきが山になっていたり、十八成浜はまだがれきだらけで、言葉が出ないとはこのことを言うんだなあと思いました。渡波小学校では、午前中は支援物資の仕分けと、紅茶の提供に分かれて活動しました。午後はヘドロが入った校舎内の掃除で、東邦隊は1階と仮設トイレの掃除をしました。教室にはまだヘドロが残り、それが乾いて砂ぼこりがひどく、一度掃いたくらいではキレイになりませんでした。

今回、ボランティアに行って何よりも良かったと思うのは、被災地の方々と交流が持てたことです。交流を通じて、私たちボランティアは、被災地の方々を元気づけてあげなくてはいけないのに、私は現地の方々から明るい笑顔やボランティアへのねぎらいの言葉をいただき、逆にたくさんの元気をもらいました。あの笑顔の裏には、きっと暗い気持ちがあるはずなのに、屈託なさそうな笑顔で心が温まりました。ボランティアに参加できて本当に良かったです。本当にありがとうございました。また参加したいです!(3年B組 種田未央)

無私の精神と笑顔は大きな希望

文化祭で石巻市から招いた高校生との対談(2011年10月1日)

 東邦高校では2001年4月、長沼教頭が校長に就任しました。第14代(2009年~2011年)の榊校長にからバトンを引き継ぎ、第15代校長(2011年~2015年)への就任しでした。校長としての初年度、生徒たちの被災地でのボランティア活動を見守った長沼氏は、「生徒たちが体験を通し得たものはとてつもなく大きいものだった」と振り返ります。

<生徒たちは出発前のあいさつと、帰ってきてからの報告のために必ず校長室を訪れましたが、報告を受けるたびに、すごい体験をしてきたんだなあということが分かりました。印象的だったのは、被災地の人たちに励まされたという感想が多かったこと。想像を超える過酷な環境の中で、しっかりと生きていることを学んだのでしょう。平穏な日常がいかに大切であるかがわかったという生徒がたくさんいました>

生徒たちの被災地体験は学校生活にも思わぬ影響として現れました。2010年度には35人だった退学者が2011年度はわずか7人に減りました。2008年度29人、2009年度32人、2010年度35人と増え続けていた退学者が過去6年で最少となったのです。欠席率も全学年平均1%台、遅刻率も1年生0.78%、2、3年生も1%台で近年にない低さでした。保健室を利用する生徒も、前年度までに比べ格段に減少しました。

<学習成績にも変化がありました。2011年度は進級に抵触した生徒は1年生が0人。2年生も2人だけで、過去5年間の数字と比較しても極めて良好でした。被災地の現場を体験して、自分たちの日常が恵まれていることを強く自覚したことが反映されたのではないかと思いました>

生徒会では募金活動も行われ、10月の文化祭では、震災で校舎が被害を受け、学年別に他校にも間借りして分散授業が行われていた石巻市立女子商業高校(現在の石巻市立桜坂高校)から3年生生徒と女性教員を招き生徒たちとの対談を企画しました。

PTA会誌「栂木」(つがのき)40号(2012年3月1日)に掲載された長沼校長の寄稿です。(抜粋)

<日本は今、3.11の大震災がもたらした災厄により、私たち一人ひとりの描く未来像が、震災前とは大きく変わらざるを得ない局面にある。人に対する思いやりと血の通った行動が、これまで以上に望まれている。ボランティア活動で被災地に行った諸君には、体験を通してこそ得られた人間の命の重みを伝えてもらった。社会との接点を、何とか自分たちの力で見つけたいという真摯な姿に、明日の日本のコミュニティを支えるリーダーを見るような思いがした。これまで、この東邦で見せた君たちの無私の精神と笑顔は、まさに困難な時代を生きる上で大きな希望である>

法人広報企画課・中村康生

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