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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第89回

東日本大震災と愛知東邦大学  

2011

更新⽇:2020年10月27日

生協ボランティアで宮城県七ヶ浜町へ

2012年和丘祭で展示されたパネル(森靖雄氏提供)

東日本大震災の復興支援では愛知東邦大学でも支援活動の動きが活発化しました。2011年6月には、「教職員・学生ボランティア活動支援委員会」(ボランティア委員会)が発足し、参加ルートを問わず、被災地支援に赴いた学生には交通費の一部として5000円を補助する制度が設けられました。また、学生たちの体験を教育研究活動に生かそうと、地域創造研究所主催による研究会なども相次いで開催されました。

全国大学生活協同組合連合会(生協連)は4月5日、東京の生協連本部に「大学生協ボランティアセンター」を立ち上げ、全国の大学に参加者を募りました。「被災地に足を運んでボランティア活動をしたい」という学生たちからの申し込みが殺到しました。

愛知東邦大学でも、ボランティア委員会委員長の宗貞秀紀人間学部教授(地域福祉論)と、「ボランティア論」の講義を担当し、2010年度から経営学部長を務めていた岡部一明教授が話し合い、学生たちに夏休みでの生協ボランティアへの参加を呼びかけました。

約30人の申し込みがありましたが、参加には生協組合員であることが条件であったため、加入手続きが遅れ、募集ターム(期限)の締め切りに間に合わない学生も続出しました。結局、愛知東邦大学にとって第1陣となる12ターム(9月2日~6日)、第13ターム(9月6日~10日)への参加学生は計8人とどまりました。第12タームには岡部教授と地域創造研究所顧問の森靖雄・元経営学部教授が、第13タームには宗貞教授が学生たちに同行しました。

学生たちは参加費1万円(4泊の宿泊費・食費・現地移動費など)を払い、夜行バス(自費)などで東京に集合。生協の用意した新宿~仙台(往復3000円)のバスで仙台に入り、市内の旅館「天龍閣」を宿泊拠点に、バスで1時間ほどの宮城県七ヶ浜町でのボランティア活動を行いました。

仙台市北東に隣接する七ヶ浜町は人口約2万人、約6000世帯。町面積の4分の1が津波被害に遭い600戸が全壊、200戸が半壊し、1000人が避難所暮らしを余儀なくされました。

学生たちは被災家屋の残材片付け、流失樹木の運び出し、被災地から収集された写真の洗浄、支援物資の整理、子供たちへの学習支援などのボランティアに追われました。

同行した森氏は「往路のバスでは、大丈夫かなと心配した学生もいましたが、現地では全く違和感なく活動してくれました。被災地の実情にとどまらず、被災者の生活の一端にも触れて、理解の仕方が明らかに変化していく学生たちの様子が興味深かった」と振り返ります。

「ボランティア論」の学生たちは牡鹿半島へ

学園バスで東京に向かう学生たちと漁業支援

岡部教授が担当する「ボランティア論」「非営利組織論」の受講学生たち21人(1人は他大学生)は、岡部教授の呼び掛けに応え、10月23日から26日まで、宮城県石巻市の牡鹿半島の漁村で農地復旧や漁業支援の活動に汗を流しました。国際交流NGO(非政府組織)ピースボートが設立した「ピースボート災害ボランティアセンター」(PBV)が呼びかけたツアーに参加しての支援活動でした。

東京までは大学にバスを出してもらい、高田馬場から石巻市の現地まではPBVの無料チャーターバスを利用。学生たちは参加費1000円と、解散後の東京から名古屋までの帰路の交通費を負担するだけで済みました。

同行したのは岡部教授と森氏です。森氏は1995年の阪神淡路大震災直後にも、在職していた日本福祉大学の学生たちに呼びかけて25人ほどのチームを編成し、長田区を中心に神戸市内の被災中小企業の経営被害・要支援実態調査に乗り込んだ体験がありました。東日本大震災でも、発生直後からすでに被災地調査に何度か出向いていました。「東京までのバス車内では岡部先生がボランティア活動での注意点を、私が被災の現状を説明し予備知識を与えました」と言います。

参加学生の一人、経営学部地域ビジネス学科2年生の小林将吾さんが「東邦キャンパス」114号(2012年1月1日)に体験を書き残しています。

<参加したのは傍観者でいたくなかったから。募金なども一つの手ですが、自分の中では、直接手伝いたい、という気持ちが強かった。一人ではなかなか行けずにいた時、身近な大学でボランティアに行けることになったので即決意しました。牡鹿半島の被災した漁村で1日目は農業支援、2日目は漁業支援でワカメの養殖を手伝いました。畑の修復にしても、10人が一日がかりでも終わらないのに、一人だったらと思ったら、やめたくなる被災者の気持ちが分りました。被災者はボランティアの手伝う姿を見て、漁業を続ける気になったそうです。「ボランティアは積み重ね。きょうやったからこそ次のステップに行ける」とピースボートの人に言われ納得しました>

 

 大学生協のボランティア参加率が全国1位に

後援会誌「邦苑」34号(2013年3月)に岡部教授が、2012年までの大学生協主催主催の東日本大震災被災地支援ボランティアへの大学別参加者に関連し、驚きの報告をしていました。

参加学生数の多い順では①早稲田大65人②鹿児島大64人③東京大61人④立命館大35人⑤首都大学東京30人⑥名古屋大28人⑦愛知東邦大21人⑧東京学芸大、埼玉大、千葉大各19人でした。ただ、10校中、愛知東邦大学の学生数は1121人で、4万5000人近い早稲田大、3万2000人余の立命館大など他校に比べると〝超小規模校〟。このため、学生1000人当たりの参加率を算出すると18.7%となり、2位鹿児島大(学生数約9000人)の7.2%を大きく引き離してトップでした。1.1%の立命館大は最下位でした。

数字のマジックとも言える結果でしたが、岡部教授は「東邦大生の心意気が現れた統計結果」と胸を張っています。(抜粋)

<あくまで大学生協主催のボランティアだけですから、全体のことは分かりません。が、すごい数字です。2011年10月に私の授業で募った20名の学生はこれには入っていません。その他いろんな市民団体主催のボランティア派遣で、おそらく計60名程度の学生が東北ボランティアに行っています。

学生によるボランティアにはいろんな意見があります。危険だから行かせない、という考えもあります。しかし、本学では理事会、大学執行部を始め、希望する学生がいればこれを積極的に支援するというスタンスを取ってきました。

「テレビを見て、かわいそうと思うだけではいけない」「行動することが大切と思った」。参加学生の言葉に感動させられたのも一度や二度ではありません。現地に行って実際に現場を見、がれきの片付けに汗を流すことで、学生は座学だけでは学べない多くのことを学んだと思います。その東邦生の心意気が現れた一つの結果が今回の統計だったと思います。教室での勉強も大切ですが、人に共感する力、行動する力、そういう何ものにも代えがたい大切な点で、本学学生はすばらしいものを持っている。そう確信しました>

4年間で9回のボランティアに参加

卒業式前、七ヶ浜町追悼式に参加した岡本さん(左から3人目)

震災翌年の2012年4月に人間学部人間健康学科に入学した岡本早葵(さき)さんは、1年生の時から卒業までの4年間で9回、延べ43日間、被災地でのボランティア活動に汗を流しました。

岡本さんは静岡市の県立清水西高校出身。2018年に亡くなった「ちびまる子ちゃん」の著者さくらももこさんは高校の大先輩ですが、中学生の時から福祉系の仕事にあこがれ、福祉コースのある清水西高校を選びました。

愛知東邦大学では、ボランティア関連の科目を担当していた宗貞教授の授業を選んでいたこともあり、1年生の夏、大学生協が募集する東北復興支援ボランティアに参加し、宮城県七ヶ浜町を訪れました。

七ヶ浜町にはすでに、大きながれきはありませんでしたが、岡本さんは、「緑が少なく、土色の風景が広がっている」と感じました。水田や畑のがれき拾い、子供たちの学習支援に取り組みました。2年生の夏には620人の死者、200人を超す行方不明者が出た南三陸町にも出かけました。七ヶ浜町に比べ、まだがれきが片付いておらず、漁具の補修も手伝いました。

岡本さんは生協主催で7回、名古屋のNPO主催で2回の計9回のボランティアに参加し、七ヶ浜町、南三陸町のほかに石巻市、名取市も訪れました。生協主催だと参加費が1万円。夜行バス(往復1万円)で東京に出て、新宿からバスで被災地に向かいましたが、費用を捻出するために授業後、コンビニでのアルバイトを続けました。

学生時代、最後のボランティア活動となったのは、震災から5年を経た2016年3月11日、七ヶ浜町で開かれた町主催の追悼式にも参加した活動でした。

七ヶ浜町では津波で108人が犠牲になりました。追悼式では、岡本さんと同世代の女性が、遺族代表として追悼の言葉を述べました。女性は自宅から祖母と高台に避難中、迫ってきた濁流にのみこまれました。「自分は奇跡的に助かったものの、握っていた手を離してしまった祖母が犠牲になってしまいました」「成人式や結婚式の姿を見せられなかった。助けられなくてごめんね」。岡本さんには、女性の肉声から、肉親を助けられなかった無念さがひしひしと伝わってきました。

岡本さんにとって、3月16日の卒業式を目前にした最後のボランティア活動でしたが、「震災から5年という節目の追悼式に参加できてよかった思いました」と振り返ります。

岡本さんは被災地でのボランティア活動を通じ、「行動する勇気」を学んだと言います。3年生だった2014年夏には、宗貞ゼミの仲間たちとボランティアサークル「COCORO」を発足させました。「心の温かみを」との願いを込めてのサークル名でした。

岡本さんは卒業後、川崎市で福祉系の会社に勤務。在宅ヘルパーとして、朝8時半から自転車で動き回る日々を送っています。電話で近況を尋ねると、「学生時代にボランティア活動に取り組んで、行動する勇気をもらいましたが、今は仕事が面白く、さらに行動的になったような気がします。卒業したら、ボランティアとは離れて、被災地を旅してみたいと思っていましたが、職場の人手が少なく忙しいのでまだ果たせていません」と元気そうでした。

カナダ留学で奏でた鎮魂曲「花は咲く」

留学生活の別れに教会で「花は咲く」を奏でた濱野さん

2011年4月に人間学部人間健康学科に入学した濱野梓さん(イープロ職員)は、東邦高校時代に続いて大学でも吹奏楽団に所属し、2、3年生の時は団長を務めました。濱野さんは大震災が発生した3月11日、高校の卒業式を終え、星が丘自動車学校(名古屋市千種区)に通っていました。友人と近くのカフェで休憩中だった午後2時46分、東北を震源地に大地震が発生しました。

「お茶を飲んでいたらグワーンと来ました。最初は友達と〝揺れてない〟って言葉を交わしましたが、尋常ではなさそうな揺れで、怖くなってきました」。友人と自動車学校に戻ると、テレビは巨大地震発生の速報と、東北各地からの中継映像を流し続けていました。

濱野さんは3年生を終えた時、英語力を磨くため大学を休学し、2014年6月から2015年1月までの8か月、カナダに語学留学しました。トロントの語学学校では韓国、ブラジル、コロンビア、ロシア、アラブ系の国々から来た学生たちと一緒に学びましたが、どの学生たちも東日本大震災からの復興具合を心配してくれました。ホームステイ先の家族たちも気遣ってくれました。

濱野さんは週末、ホストファミリーととともに教会に通っていました。ホストマザーを通して、滞在最後の礼拝となった日、「1曲でいいからトランペットを演奏させてほしい」と教会に頼みました。濱野さんは小学生の時からずっとトランペットを吹き続けており、現在はプロ奏者としてリサイタルも開いています。東日本大震災の被災者たちを気遣ってくれているカナダの人たちへの感謝の思いを、トランペット演奏で伝えたいと思ったからでした。

濱野さんが選んだ曲は「花は咲く」。「これは日本では、東北の復興支援ソングとして歌われている曲です。復興への願いを込めて演奏します」。英語での説明後、濱野さんが奏でたメロディーに、教会信者だけでなく、駆け付けた留学生仲間たちも耳を傾けてくれました。

「遠く離れたカナダの人たちでもこれだけ心配し、復興を祈ってくれているのに、自分が知っている被災地の情報はメディアを通じて得たことばかり」。濱野さんは帰国し、4年生に復学と同時に被災地に足を運びました。利用したのは愛知ボランティアセンターが企画する0泊3日「弾丸夜行バスツアー」。4月24日夜、東別院発のバスに乗り込みました。

ボランティアは25日朝に到着した石巻市の「十八成浜(くぐなりはま)仮設住宅」での活動でした。濱野さんは食堂班でした。事前に主催者側から、「それぞれの立場で自分のできる応援活動をしてほしい」との呼びかけもありました。濱野さんは、仮設住宅暮らしのお年寄りたちのために、持参したトランペットで演奏しました。「上を向いて歩こう」に続いて奏でたのは、カナダでも演奏した「花は咲く」。仮設住宅の集会室に集まったお年寄りたちの中には、一緒に口ずさみながら涙ぐんでいたおばあちゃんもいました。濱野さんはその姿をしっかりと胸に焼き付け帰路のバスに乗り込みました。

学長表彰で称えられた「行動の勇気」

学長表彰された岡本さん(左)と濱野さん(右)

愛知東邦大学は2016年3月16日に行われた2015年度卒業式で5人の学生を「成績優秀で、学生生活でも他の学生の模範として実績が認められる」として学長表彰しました。濱野さん、岡本さんも選ばれました。

濱野さんは「吹奏楽団のリーダーも務め、カナダでの留学、米国でのローズパレード参加。楽器演奏を通じた東北支援活動も行った」と推薦されました。

岡本さんは宗貞ゼミでした。表彰式では、「3.11の震災時は高校生であったが、大学に入学して東北支援ボランティアに参加したいという思いを学生生活の中で実践してきた。継続支援の必要性からボランティアサークルを創設し、支援活動報告も継続して実践した」と宗貞教授の推薦理由が読み上げられました。

宗貞教授も自宅がある神奈川県逗子市から2回、大学から4回、被災地支援に学生たちと足を運びました。人間学部開設と同時に着任した宗貞教授にとっても、濱野さん、岡本さんと迎えたこの日の卒業式は、9年間勤務した愛知東邦大学での教員生活にピリオドを打つ、自身の〝卒業式〟でした。

宗貞氏が逗子市の自宅から、東日本大震災と愛知東邦大学の学生たちとの思い出をメールで寄せてくれました。

<まだ遺体が収容仕切れないでいる震災初期の被災地に出かけた学生もいました。昼休みを利用して、支援参加学生の報告会を数回開催し、被災状況を共有する時間も設けました。遠方の名古屋から被災地での支援活動に参加するにはなかなか勇気のいることです。行動を起こした学生たちの、心の基本部分にあった「見て見ぬ振りができず、支えになりたい」という気持ちが行動に移させたのだと思います。最初に一人で参加した勇気は、後の人生にも役立っていると思います>

法人広報企画課・中村康生

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