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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第91回

硬式野球部の試練

2012

更新⽇:2021年1月6日

強化指定クラブに

17連敗目となった名古屋大学との入替戦(2012年11月4日)

2001年の開学とともに創部された硬式野球部は同年秋から、愛知大学野球4部リーグでデビュー。翌年2002年秋には1、2年生だけのチームで初優勝し3部リーグ昇格を決めました。「創部2年目でのリーグ優勝、リーグ昇格は1949年発足の連盟史上初めての快挙」と、当時顧問だった杉谷正次教授は「邦苑」24号に喜びを報告しています。

しかし、その後に待ち構えていたのは厳しい現実でした。3部昇格の2003年春は2勝10敗で最下位となり4部に降格。2004年春に2度目の3部昇格を果たしたものの3勝9敗1分でまたも最下位となり再び4部に落ち、低迷が続きました。

大学ブランドのアピールにつなげようと、硬式野球部を強化しようとする傾向は多くの大学に見られ、有力選手を集めるための推薦枠を設ける大学も一般化しています。短大から4年制大学に移行し初の卒業生を送り出していた愛知東邦大学でも2006年度から硬式野球部を強化指定クラブとしました。監督も東邦高校で野球部マネージャー経験のあった職員の袴田克彦さんに代わって、袴田さんの後輩世代で東邦高校時代に3度の甲子園、東北福祉大時代には全日本大学野球選手権も体験している高木雄二氏が就任しました。

大学職員(入試広報室)として監督に招かれた高木氏は「東邦キャンパス」99号(2006年5月31日)に抱負を寄せています。「母校である東邦学園のために少しでもお役に立ちたく思いお引き受けしました。野球を通じて、今まで学んできた素晴らしいことを、少しでも選手・生徒に伝えていきたい。入試活動の仕事も早く覚え、何事にも妥協せず全力で取り組んでいきます」。

遠い2部リーグ定着

入替戦の行方を見守る愛知東邦大の応援席(名商大グラウンドで)

高木監督のもと、強化指定クラブとして再出発した硬式野球部は、2006年は春、秋とも4部2位で入替戦に出場。春は敗退しましたが秋は勝って2007年春には3度目の3部復帰を決めました。しかし、3部から2部への道のりは苦難が続きました。春が6勝5敗で3位、秋が6勝6敗で3位に終わった2008年度の活動報告が掲載された「邦苑」30号の記事(要旨)です。

<本学は3部に所属し、まずは2部昇格を目指し、さらに1部昇格・全国大会出場を目標に一歩ずつ、着実に力を伸ばして活動しています。2部昇格には春季・秋季の年2回開催されるリーグ戦で2位以内に入らなければなりません。ここ2年間(4季)はすべて3位にとどまり、あと一歩のところでリーグ戦を終えています。目標の全国大会には1部優勝を成し遂げることが条件です。チーム一丸となり、厳しい道のりをくぐり抜け、本学の希望の光となれるよう鍛錬を積んでいきます>

2010年にはやっと2部リーグにはい上がりました。しかし、春、秋とも5位に終わり、秋には入替戦にも敗れ、2011年からは3部に逆戻り。2012年春は後半5連敗し4位でした。ただ、秋からのリーグ再編で2部リーグが6校から12校(A・Bリーグ)に拡大されたことで愛知東邦大学は2部Bリーグに〝昇格〟となりました。しかし、結果は0勝10敗で最下位(①中京②至学館③名古屋産業④名古屋経済⑤愛知学泉⑥愛知東邦)。春季後半からでは15連敗という惨敗でした。2部残留をかけた2部・3部リーグ入替戦の対戦校は3部1位の名古屋大学でした。第1戦は瑞穂球場で行われ2―3で敗退。後がない第2戦は名古屋商科大学グラウンドで11月4日に行われました。榊直樹理事長ら大学関係者、女子サッカー部員らも応援に駆け付けましたが、1―3で敗れました。春季後半からだと17連敗で3部陥落が決まりました。

【2006年~2012年の成績と順位】

2006年春4部 9勝3敗で2位、秋4部 8勝3敗で2位

2007年春3部 5勝7敗で3位、秋3部 7勝6敗で3位

2008年春3部 6勝5敗で3位、秋3部 6勝6敗で3位

2009年春3部 7勝4敗で4位、秋3部 8勝5敗で2位

2010年春2部 4勝7敗で5位、秋2部 5勝7敗で5位

2011年春3部 3勝8敗で5位、秋3部 6勝5敗で3位

2012年春3部 5勝7敗1分で4位、秋2部B 0勝10敗で6位

軟式野球部への流出

全勝優勝で2部昇格を決めた2013年度チーム(日進グラウンドで)

硬式野球部が3部リーグ、2部Bリーグでもがいていた2011年春から2012年秋までの間に、軟式野球部は中部日本学生軟式野球連盟1部リーグで4季連続優勝。2011年には全日本大会、2012年には東日本大会で優勝に輝きました。連載第90回の「全国舞台へ先陣切った軟式野球部」でも紹介したように、硬式野球部より先に全国舞台で躍動した軟式野球部の主力メンバーは硬式野球部を退部して移った選手たちでした。

硬式野球部では残念な動きもありメディアでも報じられました。日刊スポーツ(2010年2月12日)は、2009年10月、練習中の部員が練習方法を間違えたとして監督から顔面を殴られ、けがを負ったことで20人以上の部員が連名で大学側に抗議。大学は調査の結果、暴行を認めた監督を2010年1月6日にけん責処分したと伝えました。

高木監督は2012年秋の入替戦を最後に降板し、後任は東邦高校先輩OBで61歳だった横道政男監督に託されました。横道監督は東邦高校、中央大学卒。東邦高校3年生だった1969年夏には、愛知県大会準決勝の中京戦で逆転サヨナラ本塁打を決め主将として、チームを阪口慶三監督にとっても初となる甲子園出場に導きました。

横道氏は愛知東邦大学の初代後援会長(当時は東邦学園大学)も引き受けていたこともあり、「大学全体が落ち込んでいたピンチを救ってくれるのは横道さんしかいないと思った」と振り返る職員も少なくありません。

1951年生まれの横道監督に対して1974年生まれの高木監督。「高木監督には若さゆえの力みもあったのではないか。勝つ野球を優先しすぎたのでは」と指摘する職員もいます。

再生への緊急登板

初の2部優勝盾を手にする横道監督。右は主務の武田祥吾さん

横道監督は2013年2月から日進グラウンドで練習を開始しました。最初のミーティングについて横道監督は「忘れられない光景だった」と振り返ります。

「部員たちはみんな下を向いていました。目が死んでいて、スポーツマンの目とは思えない4年生もいた。初めて向き合う私を、〝前監督と同じ東邦高校出身だから、同じことをするんだろう〟という目で見ている選手もいるのだろうなとも思いました」

横道監督が最初に采配を振るった2013年春、愛知東邦大学は3部Aリーグ(愛知東邦、名古屋市立、愛知淑徳、大同、豊橋技術科学)を8戦全勝で優勝し、名古屋学院大との2部入替戦にも連勝して10連勝で2部復帰を決めました。

2部リーグに移ってからの成績は表の通りですが、2016年秋、2017年秋、2018年秋はいずれも1位となり2部優勝を決めるプレーオフに出場。2016年は愛知大、2017年は名古屋商科大、2018年は愛知工業大に敗れ、1部昇格につながる入替戦には進めませんでした。しかし、4度目の1位となった2020年秋にはプレーオフでも日本福祉大を破り初の2部優勝に輝きました。1部昇格をかけた入替戦では残念ながら1部6位の東海学園大に連敗し、創部20年目にしての悲願の1部リーグ昇格はなりませんでした。

【20013年~2020年の成績と順位】

2013年春3部A 8勝0敗で優勝、秋2部B 7勝3敗で2位

2014年春2部A 7勝3敗で2位、秋2部B 4勝6敗で4位

2015年春2部A 7勝3敗で2位、秋2部B 4勝6敗で5位

2016年春2部B 6勝4敗で2位、秋2部A 7勝3敗で1位

2017年春2部A 5勝5敗で4位、秋2部B 8勝2敗で1位

2018年春2部B 4勝6敗で4位、秋2部A 7勝3敗で1位

2019年春2部A 5勝5敗で2位、秋2部B 6勝4敗で2位

2020年春 中止、秋2部A 9勝1敗で1位、2部優勝

 

勇退の横道監督に聞く

2020年納会で表彰された4年生をたたえる横道監督(12月25日)

2021年で70歳を迎える横道監督は2020年シーズンを最後に勇退、2021年からは田中洋コーチが第4代監督としてチームを率います。引退が公表された後、12月上旬の土曜日、日進グラウンドの部室で横道監督に8年間の監督時代を語ってもらいました。

 

――2013年に監督に就任した当時の硬式野球部の様子はどうでしたか。

榊先生からは「野球部を続けたいので監督をお願いできませんか」と依頼を受けました。練習を見に日進グラウンドに行ったんですが、選手たちは冗談を言っても笑顔を見せない。これはかわいそうだなと思って引き受けました。大学生は半分大人。練習も納得してやらないとストレスになります。

――横道監督が東邦高校時代、阪口監督の厳しい指導方針に反発した選手たちが軟式野球部に移り日本一になりました。(連載第51回「軟式野球部の全国大会初出場」参照)愛知東邦大の軟式野球部が日本一になった時の中心メンバーも硬式野球部の離脱組でした。

そうです。僕の東邦高校時代も同級生たちが軟式に移り日本一になった。高木君も野球部を強くしたいという思いから段々厳しい野球になっていった。若いし血の気も多かった。彼は日本一を狙う東北福祉大出身。僕も東都の中央大で野球をやってきました。どちらも著名なプロ選手を輩出し、全国から有力選手が集まって来る大学ですので、歴史が浅い愛知東邦大の選手たちとはやはり違いました。それを頭に置いて指導をしないと。学生たちは絶対に野球が好きなのだから、まずはチームを明るくしようと思いましたね。好きな野球をやるんだから一人で悩むなと。

――就任最初のシーズンに全勝で3部優勝し2部に上がりました。

3部と2部ではレベルが相当違います。2部には1部に負けないような選手もたくさんいます。野球は他のスポーツとちょっと違い気持ちの問題が大きい。人間力が上がれば絶対に強くなる。毎日ミーティングをしました。僕が高校時代に叩き込まれた阪口監督に習いました。練習の一方で、人に迷惑はかるなよ、ごみは拾えよ、そうしたこともしっかり教えました。

――監督を8年やられての最大の思い出は。

毎日が楽しかったですが最大の思い出は何と言っても就任1年目です。4年生たちが燃え出した。1年間の最後の試合が終わった時、一人ひとりが抱きついて泣いてくれた。女子マネージャーの子も。横道監督に出会えてよかったと言われた時は、監督を引き受けてよかったと感動しました。監督をさせてくれた榊先生に感謝です。

 

2013年度チームの4年生で、主将、投手だった土田裕太さん(埼玉県熊谷市消防職員)は「高木監督は野球に熱く、俺についてくればという思いが強かった。横道監督は選手たちの話をよく聞いてくれました。どちらもいい面があったと思います。2020年はコロナで集まれませんでしたが、同期部員たちとはよく集まって語り合っていますよ」と話してくれました。

法人広報企画課・中村康生

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