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第92回

女子サッカー部のインカレ初出場

2012

更新⽇:2021年1月29日

人間学部開設と女子サッカー部の誕生

インカレ初出場を成田良一学長に報告する長谷川監督と部員たち

女子サッカー部が創部されたのは人間学部(2017年から人間康学部)が開設され、日進グラウンドがオープンした2007年の6月でした。初代監督を務めたのは、人間学部専任講師で、男子サッカー部顧問でもあった長谷川望氏(その後准教授。現在は東京家政大学特任准教授)でした。女子学生の増加にも関わらず、女子が参加できる運動部は女子バスケットボール部とバレー部だけで、長谷川氏によると、男子サッカー部の指導スタッフ、若手大学職員らとも意見を交わしながら、スポーツや健康について学ぼうと人間学部に入学してきた女子学生たちのために女子サッカー部をつくろうといういう話が進められました。

初代キャプテンを務めたのは長谷川(旧姓横田)理央さん(武豊高校出身)です。女子サッカー部では部員たちを愛称で呼ぶことが伝統となっており、長谷川さんはリオと呼ばれました。リオさんは創部当時を次のように振り返ります。

<入学して女子バスケ部に入部しましたが、その後女子サッカー部を立ち上げようと同級生に誘われて女子サッカー部に入部しました。7人程度しか部員がおらず、練習で集まりが悪いとコーチの人数が多い日もありました。1年の終わりには部員は2人となり、新入生の入学が本当に嬉しかったのを覚えています。グラウンド練習は週に一度しかできず、体育館での活動が主体でした。ボールも男子サッカー部のお下がりでユニホームもありませんでした>

「東邦キャンパス」105号(2008年5月20日)で長谷川監督が、「最初はボールを蹴ることも、止めることもままならなかった学生たちが、フットサルの大会や8人制サッカーの大会に参加し初得点、初勝利、そして2月には準優勝を経験することができました」と書いています。

「11人」に満たない女子サッカー部では、サッカー経験のある東邦高校の女子生徒、2007年に経営学部教員として着任したばかりの大勝志津穂専任講師(現在人間健康学部教授)らにも加わってもらい練習に汗を流しました。

初のインカレ予選には9人で出場

初のインカレ東海予選では9人で中京女子大に挑戦

創部1年目に加わった高校生は東邦高校2年生だった鈴木(旧姓木村)麻希(マキ)さんです。小学4年生からサッカーを始めたマキさんは東邦高校時代にはクラブチームに所属していましたが、2年生の時に膝をけが。担任教員から大学に女子サッカー部ができるという話を聞き、リハビリを兼ねて参加をさせてもらったそうです。翌2008年にはクラブチームの後輩で、東邦高校に入学した西本あみさんも練習に誘いました。マキさんは2009年に、西本さんは2011年に愛知東邦大学に入学しました。

全日本大学女子サッカー選手権大会(インカレ)東海地区予選に初めて挑んだのは創部3年目、強化指定クラブとなった2009年でした。この年、愛知県女子サッカーリーグ2部(5チーム)に初参加して1部昇格を目指しましたが3位に終わり昇格はできませんでした。初挑戦のインカレ予選は11人のメンバーが足りず9人で戦いましたが、1回戦で中京女子大学(現在の至学館大学)に0―1で敗れました。

「愛知県リーグでは高校生や大勝先生にも出てもらいましたが、インカレ予選となると大学生だけでメンバーをそろえなければならない。ルール上9人でも試合はできますが、普通は選手がけがで出れなくなった時などの場合。うちは9人しか登録できませんでしたが、出場を認めてもらいました」と長谷川氏は振り返ります。

キャプテンで3年生だったリオさんは、<初めてのインカレ予選に11人で出場したくて、ミーティングでは他の部の女子を借りてくる案も出ましたが、「いつも一緒に頑張っている仲間と一緒に出場したい」という結論に至りました。結果的には負けてしまいましたが、9人で出場したインカレ予選は、愛知東邦大学女子サッカー部の最初の一歩になったのではないかと思います>と懐かしそうです。

女子サッカー部は2010年度には愛知県リーグ1部昇格を果たし、2011年には1部リーグで優勝、着実に戦いのステージを上げていきました。インカレ東海予選でも当時は最後の出場枠だった西日本プレーオフに2010年、2011年と連続出場し、本戦出場へもう一歩と迫っていました。

女子サッカー部が大学生だけでイレブンをそろえることができたのはキャプテンのリオさんが4年生になった2010年でした。

<最終学年で念願の大学生だけで11人のサッカーをすることができました。サッカー未経験から始めた私にとって、経験者の後輩たちと肩を並べて活動し、まとめるということは試練ばかりでしたが、楽しいことも悔しいこともみんなで経験できたこと、未経験から始めた私がプレーオフ出場までできたことはサッカー人生で最高の出来事でした>

創部6年目でつかんだインカレ舞台

インカレ初出場を喜び合う部員たち(日進グラウンドで)

「東邦キャンパス」116号(2013年1月7日)の表紙ページは東邦高校サッカー部が第91回全国高校サッカー選手権大会に9年ぶり4回目の出場を決めた写真とともに、第21回全日本大学女子サッカー選手権大会に出場を決めた女子サッカー部員たちの笑顔の写真を掲載しています。創部6年目でのインカレ初出場。日進グラウンドでVサインを掲げて喜び合う部員たちの中にはグラウンドでともに汗を流した大勝講師の笑顔も見えます。

東海予選では、静岡産業大に0―6で敗れたものの、中部学院大には16―0で圧勝、至学館大とは0―0で引き分け、中京大には1―0で勝利。2勝1敗1分で勝点7、得失点11点、総得点17。東海第2代表としてのインカレ初出場でした。

記事では4年部員の平松宏美さん(松蔭高校)の喜びの声が紹介されています。

<これまで、出場一歩手前で負け、悔しい思いを何度も経験してきました。創部当時は7人で始めた女子サッカー部だったので、まともにサッカーの試合が出来ませんでした。それでもインカレに出場したいという大きな目標に向かって日々活動し、成長してきました。今では部員26人になり、思い切りサッカーをできるこの環境に感謝の気持ちでいっぱいです。笑顔で東邦らしいサッカーを貫き通し、ベスト8を目標に、チーム一丸となって挑戦していきたいと思います>

兵庫県三木市で12月26日から始まった第21回インカレ。4年生でキャプテンのマキさん率いるチームに3年生MFで出場した嵯峨根(旧姓寺田)真有(マユ)さん(大阪桐蔭高校)は「三木市に向かうバスは男子サッカー部のコーチだった現在の米澤好騎監督が運転してくださったと思います。前日に出発して、緊張感も、ワクワク感もありましたが、バス車内はいつも通り明るかったですよ」と記憶をたどってくれました。

マユさんは、会場の三木防災公園は大阪桐蔭高校時代に試合会場としても使っていましたし、インカレ運営にも動員されておりインカレの雰囲気は知っていました。それだけに「あの舞台で自分もプレーできるんだ」という喜びがこみ上げてきたそうです

唯一の1年生としてスタメン出場した仲里紗弥さん(沖縄・名護高校)から届いたメールです。

<東海予選でインカレ出場を決めた時は、多くの人にお祝いをして頂き、4年生への思い、応援してくれている人の思いも背負って試合に臨みました。1年生としてスタメン出場を言われた時は緊張しました。主将のマキさんにかけてもらった、「いつも通りで大丈夫」という言葉で思いっきりプレーをすることができました。初出場の全国大会を1年生で経験できたのは、私の大きな財産になりました。みんなで勝ち取り、みんなの全力で戦ったとても大切な思い出です>

 

全国舞台への階段上がる

2回戦では吉備国際大に0-8で完敗。19番はキャプテンのマキさん

第21回インカレで、愛知東邦大学は12月26日の1回戦で札幌大学(北海道)に3―1で快勝しました。午後1時半キックオフでしたが、試合会場には大学教職員や学生たち、吹奏楽団も駆け付け応援を盛り上げました。札幌大学女子サッカー部は前年の2011年に創部されたばかりでした。公式ホームページには「2012年度に全日本大学女子サッカー選手権大会(インカレ)初出場し、全国のレベルを痛感」と愛知東邦大との全国デビュー戦について紹介されています。吹奏楽団を含めた応援の迫力にも圧倒されたのかも知れません。大会本部の試合記録によると札幌大の出場選手は登録された11人だけでした。

2回戦は12月28日に吉備国際大学(中国第1代表)と対戦、0―8で完敗しました。吉備国際大学女子サッカー部は2000年創部の強豪で、2012年も早稲田、日体大などとともベスト4、2013年度には日本一を達成しています。

監督として初のインカレを指揮した長谷川氏は「貴重な体験だった」振り返ります。

<札幌大も十分力はありましたが、まだまだ全国舞台で戦うには難しい面があったのでしょう。大敗した吉備国際大とうちとでは相当差がありました。2回戦で違う相手と当たっていたらもう1試合できたかも知れませんが、学生たちにはとってはこうした強豪校と対戦できたことは貴重な経験だったと思います。4年生たちは来年はないわけですが、後輩たちにとっては、全国大会に出れたということで、階段を一段上がったことになる。足りないところもあるということを肌で感じることが出来た点は大きかったはずです>

選手たちの力も着実に評価され始めていました。マキさんは愛知県サッカー協会(AIFA)から2009年度大学優秀選手として表彰されています。マユさんも2012年10月に岐阜県で開催された第67回国体女子サッカー競技に1学年下の田中菜月とともに愛知県チームに選ばれました。

各地から集まってきた選手たち

1回戦の先発イレブン。前列右がマユさん、その左がマキさん

初出場のインカレ1回戦の札幌大戦に臨んだ愛知東邦大学の先発イレブンです。4年生3人、3年生3人、2年生4人、1年生1人とう布陣で、11人中7人が愛知の高校出身です。

 

GK宮崎真由(聖カピタニオ女子)2年

DF大竹花苗(聖カピタニオ女子)2年

DF仲里紗弥(沖縄・名護)1年

DF塚本奈々(春日井商)2年

◎DF木村麻希(東邦)4年

MF松浦エリ(春日井商)3年

MF川島みく(新潟・敬和)4年

MF寺田真有(大阪桐蔭)3年

MF平松宏美(松蔭)4年

FW南埜美香(大阪桐蔭)3年

FW西本あみ(東邦)2年

 

3年生で出場し、翌年4年生でキャプテンを務めたマユさんは生まれも育ちも大阪府。小学3年生の頃にサッカーを始め、小中は地元のクラブチームに所属し、大阪桐蔭高校に進学、創部2年目だった女子サッカー部に入部しました。

<高校時代はけがが多く、試合には出たり出なかったりです。同期の南埜美香とともに愛知東邦大学に進みましたが、私は大学でサッカーを続けるにあたっては、出来上がっているチームではなく、今から作っていくチームを中心に探し、愛知東邦大を選びました。高校の時にけがが多かったので、リハビリとかトレーナーとかについて学べる環境が整っていることもありました。練習にも参加しに行って、グラウンドの環境とかも見て、ほかとも比べて愛知東邦大に決めました。

愛知東邦大は強化指定クラブになったばかりで、インカレ出場を目指し、これから創り上げていくというチーム状況でした。強化指定クラブになる前から在籍していた先輩方もいらっしゃいましたし、全国大会出場という大きな目標に向けての意識の差は当然ながらありました。学年が上がるにつれ、様々な地域から選手が来るようになったものの、ある程度自由のきく大学生活、まだまだ歴史の浅いチームだったので、目標への想いの強さの差を感じ、私自身たくさんの葛藤がありました。学年ごとにそれぞれのカラーがあり、一人ひとりにもカラーがあり、それを生かしながらチームとして強くなること、全国を目指すチームを創っていくことは決して簡単なことではないと痛感しました>

マユさんは愛知東邦大を卒業後2年間、社会人チームのNGU名古屋FCレディース(現 NGUラブリッジ名古屋)でプレー。現在は生まれ育った大阪府寝屋川市での生活を送っています。

法人広報企画課・中村康生

 

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