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語り継ぐ東邦学園史
歴史を紐解くトピックス

第97回

 番外編1 甲子園初優勝選手の遺品写真

2024

更新⽇:2024年2月22日

山吹小で全国優勝した片岡博国さん

後列右の旗を握っているのが片岡さん

東邦商業学校が甲子園初出場となった1934(昭和9)年の第11回選抜中等学校野球大会で初優勝を飾った時の選手の親族から、「学園100周年の記念資料になれば」と遺品となった写真の一部が東邦学園に提供されました。
選手は片岡博国さん。2003年3月17日、86歳の生涯を終えましたが、奥さんが片岡さんの孫にあたる東京都西東京市の三浦純一さんから、写真提供の申し出がありました。
片岡さんは名古屋市東区出身。1871(明治4)年開校、2024年で153年の歴史を数える山吹小学校出身。片岡さんが通った当時の校名は「棣棠(やまぶき)尋常高等小学校」で、1928年には全国少年野球大会(京都)で優勝しています。片岡さんは優勝メンバーでした。遺品にはその時の記念写真もありました。小学校から大学まで、野球人気が過熱していた時代で、片岡さんも野球に熱中し、全国大会での頂点を極めた野球少年の一人でした。

初の甲子園で打撃賞と生還打賞

下出民義校主を囲み凱旋写真

片岡さんは同じ東区にある東邦商業に第8回生として入学し、5年生の時、甲子園での第11回選抜中等学校野球大会に出場しました。東邦は決勝戦で浪華商業に2-1でサヨナラ勝ちしましたが、左翼で3番を打った片岡さんは打率5割で打撃賞、5点で生還打賞に輝き、チームメイト5人とともに優秀選手賞にも輝きました。
エースの立谷順市投手(3年生)も1931年、京都で開催された全国少年野球大会に、淡路島の志筑尋常高等小学校の投手として出場し準優勝しています。優勝メンバーには片岡さんと同じ山吹小出身の池田一夫選手(1936年卒)の名前もあり、当時の東邦商業が、全国の野球強豪小学校から選手を集めていたことがうかがえます。

戦後は函館オーシャンからプロ野球へ

「ウエスタンリーグ功労者賞」を受賞

片岡さんは早稲田大学に進学し、東京6大学野球リーグでも活躍し、1938年にはハワイ遠征メンバーにも選ばれました。卒業後は社会人チームの昭和製鋼所野球部(満州鞍山製鉄所野球部)に7年在籍しました。
戦後は、日本で最も古い社会人野球チームで、函館市民からは「オーシャン」の愛称で呼ばれていた函館太洋倶楽部に入団。片岡さん以外にもオーシャンには、東邦商業で甲子園優勝経験がある2人が在籍していました。1939年の第16回大会優勝の猪子利男さん、1941の第18回大会優勝の大浅達夫さんです。片岡さんは1947年、猪子さん、大浅さんは1948年の入部でした。オーシャンは1949年に後楽園球場で開催された第20回都市対抗野球大会に出場、片岡さんの遺品には美技賞受賞の記念トロフィーも残されていました。
片岡さんは1950年、プロ野球のパ・リーグ誕生とともに毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団。二軍監督などを含め13年在籍し1963年から1973年までの11年間は阪急ベレーブス(現オリックス)で2軍監督やコーチを務め、若手選手育成に尽力しました。その後、近鉄バッファローズ(同)のスカウトなどを経て1977年にプロ野球を引退しました。引退後の1983年7月には、日本野球機構から「ウエスタンリーグ功労者賞」を贈られています。

第1回関東東邦会に参加

片岡さんも出席した第1回関東東邦会

遺品の中には、東京を中心とする大学野球部に所属する東邦商業出身者が参加した「東邦倶楽部」の結成記念写真もありました。東邦野球部史には、1940(昭和15)年12月25日「新愛知新聞」に掲載された、東邦倶楽部メンバーが掲載されています。立谷(専修)、久野(日大)、村上(法政)、長尾(慶應)ら甲子園優経験のある卒業生たちが並ぶメンバー表には、すでに早稲田大学を卒業していた片岡さんの名前はありませんが、記念写真中央には片岡さんが写っています。東邦倶楽部のようなOBチームは他校でも結成されており、入場料収入を母校に寄付するための試合が行われました。新愛知新聞は東邦倶楽部が神戸に遠征し、「明石中倶、報徳商倶、北神商倶を相手に試合を行うことになっている」と報じています。
片岡さんはすでに大学は卒業していたものの、甲子園初優勝メンバーとして東邦倶楽部結成を呼びかけたのかもしれません。
遺品の写真の中には、片岡さんが1981(昭和56)年11月7日に開催された第1回関東東邦会(東邦会関東支部)に出席した時の記念写真も残されていました。前列中央の浅井静男東邦高校校長のほか、名札には「商2」「商4」など東邦商業2回生、4回生などの学校草創期の卒業生も目立ちます。2列目右から3番目には「商8片岡」の名札をつけた眉毛の太い片岡さんがいました。前列左から2人目には東邦中学1期生でシマダヤ社長を務めた牧順さんの姿もあります。
写真など遺品を整理しながら、片岡さんの野球人生の足跡を追った三浦さんは、「プロ野球の世界では現役を退いた後は二軍監督やスカウトもやって、連盟から功労者表彰もされています。人柄がよくて、男気があり、面倒見がよかったのでしょう。人の育成とかで人望があったのだと思います」と語りました。

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