2010年6月に奇跡の帰還を果たした小惑星探査機「はやぶさ」。2014年12月には後継機「はやぶさ2」が新たな宇宙の旅に旅立ちました。「はやぶさ2」は6年がかりの旅を続け、小惑星の表面からサンプルを採集するミッションに挑みますが、小惑星表面の鉱物組成を観測する近赤外線分光装置の開発に「はやぶさ」計画の初期から関わり、サンプル採集装置の初期の開発にも関わったのが高木先生です。専門は惑星科学。宇宙にあこがれた少年時代も含めてお話を聞きました。
――惑星科学に興味をもったきっかけを教えてください。
私の出身地は南信州で空がきれいだったこともあるかも知れませんが天文少年でした。名古屋大学理学部に全国で初めて創設されていた地球科学科(現在は地球惑星科学科)に進学したのも、少年時代からの宇宙へのあこがれがあったからでしょう。ただ、惑星科学という分野はかなりマイナーな研究分野でした。今のように小惑星探査機がどうのとか話題になる前の時代でしたが、卒論では太陽系天体表面での衝突現象をテーマに選びました。
――「はやぶさ2」の打ち上げを伝えた読売新聞は、小惑星の表面に弾丸を衝突させ跳び上がったサンプルを採集する装置の開発に携わった高木先生について紹介していました。
愛知東邦大学での所属は経営学部ですので、担当する授業は全学共通の「自然科学入門」「環境科学」「入門コンピュータ」などです。惑星に関する研究は実験も伴いますので、神奈川県相模原市にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)の共同研究施設に年に数回、足を運び続けてきました。「はやぶさ」の装置開発での貢献ということで、文部科学大臣、宇宙開発担当大臣から大学として感謝状をいただきましたが、そのこともあって「はやぶさ2」での取材も受けました。記事では「我々の研究成果が試されるのはこれから。いよいよ本番だと思うと楽しみです」という私のコメントが紹介されました。
――「はやぶさ」での功績では先生の名前に由来して命名された小惑星もあるそうですね。
日本のアマチュア天文家としては最大となる2300個以上の小惑星を発見し、命名されている群馬県大泉町在住の小林隆男さんという方が、私たち「はやぶさ」に関わった研究者たちの名前を使って命名してくださいました。私の名前にちなんで「8942 Takagi」と命名された小惑星は1997年1月30日に発見されたものです。たいへん暗い天体なので私はまだ自分で観測したことはないですが、広い宇宙に、自分の名前がついた、たった一つの星が存在していると思うとやはりうれしいですね。
――文系の学生に自然科学を教えているわけですが、学生たちに注文はありますか。
受験のために物理や化学を勉強してきた学生は少ないわけですから、教える内容は教養的な知識が中心となります。惑星についても「自然科学入門」で少し触れる程度です。ただ、就職活動をへて社会に飛び出すにあたっては、最低限のことは学んでいってほしいと思い、分かりやすく、興味がわくような授業を心がけています。新聞で言うなら、やや専門的な科学面の記事までは読みこなせなくても、1面や社会面など、一般ニュースで扱う科学の仕組みについては理解できる知識を身につけて卒業してほしいと思います。
――愛知東邦大学での勤務は前身の東邦学園短期大学に赴任した1991年からから数えると24年になりますね。
着任した当時の短大はほとんど女子学生でしたが、次第に男子学生も増えてきました。2001年に東邦学園大学(2007年に愛知東邦大学に改称)が開学しましたが、経営学部のみということもあり学内は閑散としていました。夕方5時にはもう学内に学生の姿はありませんでした。2007年に人間学部ができてからクラブ活動も活発になり、6時過ぎでもダンスの練習に打ち込む学生たちの姿が見られるようになり、ようやく大学らしくなったなと思いました。2014年には教育学部もでき、学内はさらに活気に満ち、雰囲気も大きく変わりました。授業中の教室も、いい意味で緊張感が強まってきたと思います。
――学生たちへのエールをお願いします。
おとなしい学生が多いという声もありますが、私が頼もしく思うのは果敢に挑戦しようという学生が多いことです。私は直接にはかかわってはいませんが、「東邦プロジェクト」などの授業を通じて意欲的に地域から学ぼうという学生もたくさんいます。愛知東邦大学は開学してまだ15年目の若い大学ですが、さらに地域から愛される大学として成長を続けていくためにも、学生の皆さんが地域にも目を向けて、一層のチャレンジ精神を発揮してくれることを期待しています。