新實准教授は保育者・教員養成に関わる一方で、ガラス造形作家の顔も併せ持っています。新實准教授に本学での教育活動と作品制作についてお聞きしました。
――保育者・教員を志望する学生にはどのように指導していますか。
私たち大人は誰もが子ども時代を経験しているので、何となく子どものことは分かっていると思いがちです。でも残念ながらほとんどの事を覚えていません。この分かっているという勘違いに気付くことが重要だと思います。学生には、初めてハサミや粘土を手にした子どもの頃の感動をもう一度体験を通して感覚的に思い出し、子どもの気持ちや視点になって、子どもを理解することの大切さを伝えています。
また、「赤と青の絵具を混ぜると紫になる」「モノを叩けば音がする」「硬さや重さが違うモノがある」「自然には様々な色や形がある」こういった私たち大人が当たり前に思っていることに、子どもたちは驚きや発見を感じています。子どもには大人の概念を超えた豊かな想像力があります。その力を邪魔しないように子どもの心身の発達を理解して、一緒に感動できる心を私たち大人が取り戻すことも大切だと考えています。
――実体験が子どもを成長させる。
乳幼児は初めてみるものを、それが何であるか知るために、なんでも触り、口に入れて確かめます。私たち大人がそのような事をしたら怒られますが、視覚から得られる情報がまだ少ない乳幼児は、味覚や触覚でものを「みて」います。
乳幼児のように私たち人間は、「みること」「考えること」は目だけでなく、手などの身体でも行うことができると信じていますが、特に私が専門とする造形・図画工作は手の感覚を通して「みること」「考えること」ができる科目だと思います。
日本では、コロナ禍の中、ICT教育が盛んになってきましたが、アメリカのシリコンバレーで働いている、いわばIT関連企業の最前線にいる人々の家庭では、IT機器を使用しない学校に子どもを通わせる「テックフリー教育」も流行っているようです。子どもの頃に生身の人と人とのぶつかり合いや、さまざまな「もの」と直接関わる時間を大切にして、リアルに経験していなくては、人の心に寄り添うことや、ものの性質や特性を理解した仕事が将来できなくなるのではという考えのようです。テクノロジー開発の真っただ中にいる彼らは、その便利さも危うさも十分理解しているのだと思います。これからは、テクノロジーの活用と合わせて、リアルな体験をしながら、手や身体で考える時間もより大切になると考えています。最近はキャンプも流行っていますがリアルな体験だからかもしれません。私も山や海に行き、キャンプや釣りをして自然相手の遊びで気分転換をよくしています。
――長年取り組んでいる「学校美術館」でも「体験」を大切にされています。
「学校美術館」は研究者仲間と作品を小学校の空き教室に持ち込んで、日ごろ美術館に行く機会の少ない小学生たちに作品を直に見てもらい、制作過程など見えない部分も解説もするという活動です。
解説の冒頭で、「ガラスは何からできているか知ってる?」と質問すると、この活動を始めた頃は、ほとんどの子どもが答えられず、石油や水、掘ると出てくるなど面白い回答をしてくれました。ただ、ある時期から多くの児童が「砂」と即答するようになりました。「何で知っているの?」と聞くと決まって多くの児童が「マイクラ」と答えます。「マイクラ」とは、子どもたちに大人気のゲームの名前で、「マイクラ」というゲームの中で「砂を手に入れてかまどでガラスを作ろう」とナレーションが出てくるとのことでした。いつも「砂!」と、どや顔で答える子どもたちに、「本物はみたことないだろう?」とガラスの原料である珪砂を実際に見てもらいます。「これがマイクラに出てくる砂なんだ!」「何でこれが透明になるの?」とみな興味津々に覗き込んで砂を触ってきます。そこから紀元前4000年頃にガラスが発見された時のお話や、目の前でバーナの炎でガラスをドロドロに溶かして、普段みることのないガラスの姿も見せたりします。やはり知識として知っていることと、実際のリアルな体験を通して知ることは違うんだな、今は情報や知識は手に入りやすくなっていますが、知識と実体験の両方があることが大切だなと、この活動を通して強く思います。
アートをきっかけにして子どもたちが世の中の様々なことに興味を持って体験してくれるようになれば嬉しいし、アートにはその可能性があると信じています。
――もともとガラス造形作家を目指していたのですか。
最初は建築家になることにも興味がありましたが、進学先は美術工芸家を養成するコースでした。そこでガラス作家のマイケル・ロジャース先生に出会い、ガラス造形の道に進みました。ガラスそのものよりもマイケル先生の人柄に惹かれての選択だったので、当初ガラス素材はキラキラして、割れたりもするのであまり好きになれずに何を制作しようか困っていました。
――転機になったきっかけは。
2011年に瀬戸市の新世紀工芸館で発表した作品をたまたま見に来られたある陶芸家から、「ガラスは軽くみえていいね」という言葉をいただいたんです。作品は100キロ以上もあるのにですよ。「えっ?」と思ったけれど、そこが転機になりました。それまでは、彫刻は重く見えなくてはならないと思っていました。そのため、透明なガラス素材でどうやって鉄や石に負けないような重量感をだせるかを悩み考えていたのですが、「ガラスは軽くみえていいね」の言葉をもらい、重さを感じさせない、この存在感自体がガラスの強さなんだと気づきました。それからは、あえて特殊な形をつくらず、球や多面体といったシンプルなフォルムでガラス素材自体がもつ特性を活かせる表現をしようと志すようになりました。
――教育活動と作品制作には共通点があるとか。
ガラスにはガラスの、鉄には鉄、石には石の特性があります。自分の仕事は、ガラス素材が持っている、普段は当たり前すぎて見過ごしてしまう特性に気づいてもらうことだと考えています。なかなか難しいですが、作品を通して観る人の無意識のところにある感覚を呼び起こすようなことができれば嬉しいですね。
本学での教育活動も似ているところがあると考えていて、人にはそれぞれ違いがあるけれど、その違いを大事にして生かせば、その人にしか出来ないことが出来たり、大きな力になったりする。だけど意外と自分では良いこととして気づいていないことも多い。学生とのやりとりの中で、一人ひとりの「違い」「特性」に気づく機会をサポートしていきたい。みんなができる事をできるようになることも大切な事ですが、その人が自分の特性に気がつき、「ああ、私ってこういう良さ、があったんだ」と様々な体験から気づくことは、もっと大切なことだと思います。なかなか思うようにならないことも多いですが、私もさまざまなことに挑戦して「体験」や「気づき」を大切にしていきたいです。いつも支えてくださる周りの皆様に感謝しています。