検 索

寄 付

TOHO
INTERVIEW

2023.10.23

第96回 最高の仲間と神宮出場に匹敵する濃い4年間でした

愛知大大学野球秋季リーグ戦で最多勝利賞

玉井 裕一郎さん

経営学部地域ビジネス学科4年生

玉井裕一郎(たまい・ゆういちろう)
実家は熊本県八代市。男4人兄弟の長男。小学4年から野球を始め、地元の野球強豪校である秀学館高校に。2020年4月、愛知東邦大学経営学部入学。卒業後は安城市にある自動車部品メーカーに就職、野球(軟式)を続ける予定。

2023年愛知大学野球秋季リーグ戦で愛知東邦大学は7勝6敗勝ち点3で2位に輝きました。13試合中、先発7試合を含め10試合に登板した玉井裕一郎投手は5勝4敗の成績で、愛知大学野球連盟から最多勝利賞と敢闘賞を贈られました。大車輪の活躍で最後のシーズンを終えた玉井選手に聞きました。

――連盟公式記録によると10試合で3完投、267人の打者に923球、62回2/3を投げ、打たれたヒット59本、本塁打4本。自責点で21で防御率2.88。素晴らしい成績ですがどの数字が最も嬉しいですか。
 フォアボール(与四球)が少なかったことです。投球回数に対しての四球の数が、62回2/3を投げて7。4勝した他校の投手は45回投げて14でした。自分は四球より死球が11と多いですが、四球に比べれば流れも行かない。思い切り勝負した結果だと思っています。ワンポイントだけでなく、長いイニングを投げたかったので、どうやったら投げられるかなと考えていました。ロングを投げるにはスタミナが必要です。志願してバッティングピッチャーを続けてきました。ずっとやっていて、肩のスタミナがついた面もあると思います。

――サブマリン投法はいつからですか。
 1年生だった20020年は、春はコロナでリーグ戦が中止となりました。チームが初の2部優勝した秋のリーグ戦の時に、肩を痛めてしまいました。野球ができなくなるのはつらいと思って、真上から投げてみたり、サイドから投げてみたり模索しました。2022年、3年生の春のリーグ戦で、田中洋監督からアンダースローで投げて見ろと言われました。自分の中では一番楽に投げれましたし、球が行くので、これで行こうと思いました。4年生になった今年春の開幕戦は中京大戦でしたが、先発した徳久が2回で5失点し、そこから自分が投げてゼロで押さえました。このとき、「サブマリンで通用するんだ」と思いました。春は5位でしたが最終カードの愛知工業大戦に初先発し6回1死まで無得点で投げました。その勢いで、秋は最初のカードである中部大戦に2度目の先発をして12―0で勝ち、学生野球4年目で初完封勝利を体験できました。

――武器はスライダーですか。
 スライダーは2種類投げていました。横すべりするスライダーと、浮き上がるスライダーです。浮き上がるスライダーは森田泰弘総監督から教えていただきました。この秋のリーグ戦で結果が出せたのが、完投した10月8日の愛知学院大との2戦目です。試合前、ブルペンで準備していた時、森田監督から、「お前の生命線は浮き上がるスライダーだ。それで打たれたらしょうがない」と言っていただきました。9回に2点を失いましたが、松吉の満塁本塁打もあり完投勝利することができました。

――秋は投手陣の柱になりましたが、チームは途中、2部降格も心配されました。
 勝ち点2をかけた愛知学院大学との3回戦(10月10日)は、落としたら入替戦の可能性も強まり、結果によって天国か地獄かという試合でした。8回裏、先頭の西尾がライトオーバー3塁打を放ち、青木のセンター犠牲フライで待望の1点を挙げ1-0で勝ちました。3回まで先発の上田が頑張り、そあとを自分が投げました。大事な8回に、同じ4年生の西尾が3塁打、青木が犠牲フライを決めた。試合が終わった時、人生初の嬉し涙を流しました。

――2位が決まった愛工大戦との最終戦では、投手6人がマウンドに上がり、9回に7人目として登板し愛工大の反撃を封じました。
 愛工大打順は一番苦手なホームランバッターも含む3、4、5番。やばいなとは思いましたがライトフライ、セカンドごろ、ファーストごろに打ち取りました。これで大学野球が終わるんだ。思い切り行こうとマウンドに上がった時はいつもと雰囲気が違うと思いました。セカンドの西尾とかベンチの4年生たちが泣いていました。特に西尾はめちゃくちゃ泣いていました。西尾は1年の時からずっとやってきていて、どの選手よりも田中監督のノックを受けてきていて、抜けたかなと思う打球を何度も飛びついてアウトにしてくれました。最後の秋のリーグ戦では内野の守備が光り、何度も助けられました。試合が終わった後は2年生のショート柳瀬も泣いていたのには驚きました。もちろん、外野守備で助けてくれた田中、青木、竹延や主務の真柄ら同期の4年生たちにも感謝です。

――みんな田中監督に鍛えられたんですね。
 日本一を目指す以上は甘いことではやっていけないと思います。厳しさがないと。東都や六大学にひけをとらない、それ以上の意識が必要です。田中監督は、勝つためにはこうするんだと指導してくれました。あれだけ言ってくれる監督はいないと思います。

――大学生活は充実しましたか。
 最初のころはオンライン授業で、全く学校に来れませんでした。3年生でやっと普通に通学できました。授業に出ることと野球の両立の大変さも知りましたが、単位もしっかり取りました。ゼミ担当が杉谷正次先生で、毎試合の結果も見ていてくれました。元野球部長ですから、経営学部の野球部員たちにはありがたい存在でした。どこの大学の野球部よりも練習してきたという自負がありますが、4年生たちの絆が強く、大変なことがあっても、みんなで乗りこえていこうと励まし合ってきました。1年生からマスクをかぶってきたキャプテンの松吉は、僕らピッチャーが打ち込まれた時は、怒り心頭の監督の叱られ役も務めてくれました。松吉がいなかったらチームはまとまらなかったでしょう。この同期ちでよかったなと本当に思います。野球技術だけでなく、人間としても成長できました。無形の財産だと思います。神宮には行けませんでしたが、神宮出場に匹敵するくらい濃い4年間でした。

「4年生たちの絆が強く励まし合ってきました」

連盟表彰式で青木柊斗選手、真柄直人主務とともに(10月21)

連投となった愛知工業大との2回戦(10月15日)

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