太平洋戦争末期、工場への学徒動員が広まっていくなかで、名古屋市東区にあった三菱重工業名古屋発動機製作所では、勤労学徒たちにとっては初めての深夜作業が東邦商業生徒たちによって実施されていたことが分かりました。新聞には「学徒の深夜作業 東邦商業を先陣にきょうから実施」という記事が写真付きで掲載されました。
15歳、16歳の生徒たちにとっては夜7時半から朝7時半までの深夜労働でした。これ以降、学徒の深夜作業は一段と過酷になっていきました。東邦商業の生徒・教員20人が犠牲となった三菱発動機空襲の悲劇が起きたのは半年後の1944(昭和19)年12月13日でした。
「語り継ぐ東邦学園史」の第28回「三菱発動機空襲」をご覧ください。