第2次大戦末期の東邦商業では、生徒たちは「東邦商業報国隊」として勤労動員に駆り出されました。空襲が激化した1944年後半からは、自宅が学校に近い13歳、14歳の2年生たちは「防空要員」を命じられ、警報サイレンが鳴ると動員先の工場や自宅から学校に駆けつけました。そうした防空要員の生徒の中には、自宅から学校に向かう途中で空襲の犠牲となった生徒もいました。
「語り継ぐ東邦学園史」の第30回「哀しみの青春」をご覧ください。
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2018.04.06